くにまるジャパン 極 文化放送 番組サイト

毎週月曜日〜金曜日 9:00~13:00 文化放送

月に一度のご意見番・小倉智昭さん

2018年8月15日(水) 極シアター

本日のゲストは、月に一度の御意見番、小倉智昭さんでした。

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本日が73年目の終戦記念日ということで、
昭和22年生まれである小倉さんに戦後の混乱期や
昭和34年の東京オリンピックにまつわる思い出話、
さらにこの夏相次いだアマチュアスポーツ界と大学関連の不祥事について、
小倉さん流にズバッと斬っていただきましたよ。



★☆★☆★本編はこちらからお聴きいただけます♪(放送後一週間以内)★☆★☆★


写真家・齋藤利江さん

2018年8月14日(火) 極シアター
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1939年、昭和14年生まれの78歳、群馬県桐生市のご出身。
中学3年生で群馬県主催の「赤城山写真コンテスト」で最優秀賞を受賞。
以降、数々のコンテストで入賞を果たすも、父親の猛反対により、
写真家への道を断念され、桐生市に「カメラのアサヒ堂」を開業され
趣味として写真撮影を続けてこられる。
しかし、お父様が亡くなった後、遺品整理をしていた時に、
齋藤利江さんが撮り続けていた昭和30年代のネガフィルムを偶然発見。
それは亡き父が齋藤さんから取り上げていたネガで、
これを機に60歳で写真家として再起。以後、撮影活動を続けながら
各地で様々な写真展を展開している。
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今日は齋藤利江さんの新刊「三丁目写真館~昭和30年代の人・物・暮らし~」から
写真にまつわるエピソード、そして昭和の思い出を曲とともにお聞きしました。
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新刊「三丁目写真館~昭和30年代の人・物・暮らし~」は小学館から1800円+税で発売中。
そして齋藤利江さんの写真展「昭和の子どもたち」は
東京国際フォーラム千佳1階の相田みつを美術館 第2ホールで現在開催中です。
9月2日まで休みなしで開催されていますので是非お出かけください。

詳しくは齋藤利江さんの公式HPをご覧ください。公式HPはコチラ


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グルメリポーター・彦摩呂さん

2018年8月13日(月) 極シアター

本日の『極シアター』には、グルメリポーター・彦摩呂さんを
お迎えしました。


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彦摩呂さんは1966年、大阪府のお生まれ。
高校を卒業後に就職したデパートでお惣菜作りを任され、
料理の基本を学ぶと同時に楽しさを知ったそうです。
そんな中、裸一貫で役者を目指して上京されると、
この時代に貧乏料理のレパートリーを広げて仲間に披露し、
喜ばれていたそうです。


その後、所属事務所の先輩である山田邦子さんの番組内で、
日暮里の駄菓子屋を取材してリポーターデビュー。
彦摩呂さんの「フードリアクション」=食に関するリアクション技術は、
その後の芸能界における"食レポ"の指針にもなっていきました。


また、人気脚本家・宮藤官九郎さんも所属する人気バンド
「グループ魂」では、『彦摩呂』という楽曲が製作され、
彦摩呂さん自身もプロモーションビデオに出演されるなど、
幅広くご活躍中です。


そんな彦摩呂さんをお迎えして、グルメリポーターとしての初仕事の
思い出や、便座を割って決意されたというダイエット、幕末塾時代の
お話、片岡鶴太郎さんから本気でヨガに誘われたというエピソードなど、
楽しいお話をたっぷりと伺いました。


また、リスナーの皆さんのご要望に応じて、各地のオススメのお店を
ご紹介いただきました。




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忌野清志郎さんの元マネージャー・片岡たまきさん

2018年8月10日(金) 極シアター
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きょうの『極シアター』は、RCサクセション、忌野清志郎さんの元マネージャーで衣装係だった片岡たまきさんをお迎えしました。
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きょうは、2009年5月2日、58歳の若さで亡くなられた忌野清志郎さんを、ファンの頃から40年見続け、スタッフとして行動をともにされた片岡たまきさんに、清志郎さんの思い出や、おふたりのエピソードなど伺いました。


■元マネが語る 忌野清志郎との日々
  日刊ゲンダイDIGITAL
■RCサクセション、不遇の暗黒時代にリリースされた「わかってもらえるさ」
  大人のmusic Calendar
忌野清志郎公式サイト「地味変」
PASCALS パスカルズ公式サイト
※新譜「日々、としつき」を9月30日にリリース


■片岡たまきさんのプロフィール
神奈川県平塚市のご出身です。
中学生の時、テレビで観た忌野清志郎さんに心を奪われ、将来一緒に仕事をすると心に誓われます。
その後、チャンスを待ち続け、RCサクセションのマネージャー、衣裳係、ファンクラブ会報誌の編集などを担当され、RCサクセションが最も輝いていた1980年代の10年間をスタッフとして支えました。
1990年代、RCサクセションの活動休止以降は、シンガー・金子マリのマネージャーとして活躍され、2004年以降、ソロになった忌野清志郎の衣裳係に復帰され、2009年に清志郎さんが亡くなるまで、衣裳を担当されました。
現在は、ライターとしての執筆活動のほか、14人編成のアコースティックオーケストラグループ「パスカルズ」のスタッフとしてご活躍中の片岡たまきさんです。


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南極観測隊料理人・篠原洋一さん

2018年8月9日(木) 極シアター

本日の『極シアター』には、南極観測隊・越冬調理隊員として、
2度の南極生活をご経験された篠原洋一さんをお迎えしました。


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篠原洋一さんは1962年、北海道・札幌市のお生まれ。
子どもの頃より「食と旅」に興味を持ち、高校卒業後、料理人の道へ。
その後、北海道大学の先生から聞いたオーロラの話に心を惹かれ、
南極に行くことを決意。しかし、当時はまだ料理人としての経験が
不足していたため、オーロラに思いを馳せながら料理の修行に邁進。
そして、南極行きを決意されてから10年後の1991年、
第33次南極地域観測隊として、遂に南極の地へ。


帰国後は、豪華客船「飛鳥」「飛鳥Ⅱ」の和食調理人として乗船し、
14年間で、およそ70ヵ国200都市を周られます。
ちなみに、距離にすると地球12周分に相当するそうです。
そんな中、2008年、再び「どうしてもオーロラが見たい!」という
思いに駆られ、第50次南極地域観測隊に参加。


その後、2010年に帰国されますと、"旅好き・船好き・南極好き"が
集まるダイニングバー「Bar de 南極料理人Mirai」を横浜にオープン。
現在もオーナーシェフとして、連日、腕を振るわれています。


今回は、南極に行くことを決意された経緯をはじめ、そこに向けての
厳しい修行期間、念願のオーロラを初めて見たときの感動、南極での
食にまつわるさまざまなエピソードを伺いました。


また、実際に南極で作られていたという「ドライカレー」を試食させて
いただきました! ちなみに、こちらのドライカレーは篠原さんのお店
「Bar de 南極料理人Mirai」でも味わうことができます。




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