『かつての国立駅の三角屋根駅舎が復活!』
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2020年4月21日(火) デイリー「ホッと」トピックス
『かつての国立駅の三角屋根駅舎が復活!』
多くの方々に愛された国立駅の三角屋根駅舎ですが、
残念ながら2006(平成18)年に解体されてしまいました。
そんな、かつての国立のシンボルだった三角屋根駅舎が、
先日、市の公共施設として復活を果たし、話題となっているそうです!
(※駅舎として利用されるわけではありません!)
あらためまして、かつての国立駅の三角屋根駅舎が誕生したのは、1926(大正15)年のこと。
駅の南側を学園都市として開発した箱根土地株式会社(現在のプリンスホテル)が、
モダンな洋風建築に仕上げ、立川~国分寺間の新たな駅舎として鉄道省に寄付したそうです。
以降、三角屋根駅舎は市民や通勤・通学客らに親しまれ、街の発展を見守ってきました。
ちなみに、『国立』という名称は、まず駅の名前として使われるようになり、
のちに市の名前になったのだとか。
その由来に関しては、「国分寺駅と立川駅のあいだにできたから」という説や、
「この地から新しく国が立つようにという思いから」という説などがあるそうです。
その後、時代は昭和・平成と移り変わり、駅舎の解体問題が浮上したのが、
1993(平成5)年のこと。当時、問題となっていた「開かずの踏切」を解消するため、
線路の高架化事業が持ち上がったのが発端でした。
このままでは、駅舎は撤去されて消えてしまうため、保存を望む市民の有志が立ち上がり、
さまざまな活動を展開。
駅舎を維持したまま高架化する構想や、建物を解体せず別の場所へ移動させる
「曳家(ひきや)」という案なども浮かびましたが、技術的な問題などもあり断念。
タイムリミットが迫る中、国立市が選んだのは解体して部材を保存し、再築するという方法でした。
ただ、木造の建物を再築する場合には、防火問題など法令上の壁もありましたが、
これに関しては国立市が有形文化財に指定すればクリアできるということが判明。
その後、実際に有形文化財に指定されました。
そして、2006年に解体された後、大半の部品を大切に保存し、2018(平成30)年から再建がスタート。
そして、ほぼ元あった場所に、あの三角屋根駅舎が再建されました!
ちなみに、元の三角屋根駅舎の柱や梁などの木材を7割ほど再利用しているそうです。
今後、国立市では、「まちの魅力を発信する拠点」として、三角屋根駅舎を活用していく予定だそうです。
そういった情報に関しては、旧国立駅舎の公式サイトやツイッターなどをご覧ください。