『芥川龍之介、最晩年の随筆の自筆原稿を初公開!』

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2019年10月28日(月) デイリー「ホッと」トピックス
『芥川龍之介、最晩年の随筆の自筆原稿を初公開!』
芥川龍之介が亡くなる数ヶ月前に書いたとされる、随筆の直筆原稿が見つかり、
現在、東京・北区にある『田端文士村記念館』で公開されているそうです。
ちなみに田端は、芥川龍之介が1914年から27年7月に亡くなるまで、約13年間の
ほとんどを過ごしたという、ゆかりのある街として知られています。
そのため、こちらの田端文士村記念館では、たびたび芥川龍之介にまつわる
企画展を開催しており、今年の春にも芥川が後に妻となる塚本文への恋心を
親友に宛ててつづった2通の手紙を初めて公開。
そのときにも、このコーナーでご紹介しました。
今回、公開されているのは、芥川龍之介が谷崎潤一郎と文学論を戦わせた随筆
「続文芸的な、余りに文芸的な」の自筆原稿。これまでも随筆の存在は知られて
いましたが、自筆原稿が一般公開されるのは初めてなのだとか。
こちらの随筆は、芥川が自殺を遂げる数カ月前に執筆したとみられ、
田端文士村記念館・研究員の種井丈さんによりますと、「心身共に
衰弱した芥川が、悲壮な覚悟で文学上の難題と真摯に向き合った
姿がうかがえる」とのこと。
200字詰めの原稿用紙、合わせて12枚の随筆は、『文芸春秋』の昭和2年4月号に
掲載されたもので、小説の「筋」をめぐり谷崎に反論した「文芸的な、余りに
文芸的な」(「改造」4月号などに掲載)を補足するものだとみられ、「僕の
書いた文章はたとひ僕が生まれなかつたにしても、誰かきつと書いたに違ひない」
などと、自身の作品を否定するかのような見解もつづっています。
この随筆が掲載された数ヶ月後、芥川は田端の自宅で服薬自殺しています。
ちなみに、今回の原稿は去年の夏、田端文士村記念館が東京の古書店から購入
したもので、今年の7月には、大阪毎日新聞の社命で中国に渡航した際の紀行文
「上海游記」冒頭部の自筆原稿6枚も古書店にて購入。今回、そちらも合わせて
公開されているそうです。
こちらの企画展『芥川龍之介の生と死~ぼんやりした、余りにぼんやりした
不安~』は、田端文士村記念館で来年1月26日(日)まで開催されています。
入館料は無料。田端文士村記念館へは、JR京浜東北線または山手線の田端駅
北口から歩いて2分ほど。なお、原則として月曜と祝日の翌日が休館日となって
います。詳しくは、田端文士村記念館のホームページをご覧ください。