番組ブログ
第804回 厳しかった父が涙した日
岐阜・神岡鉱山の鉱山住宅で育った女性。
幼い頃はとても厳しかった父。
でも専門学校の寮に入るため、家を出るときは
人目をはばからず泣いてくれた...
「昭和の父親という感じがしますね。
俺もよく取材を受けますが
思い出の場所って、どんどんなくなっていきますね」
第803回 幸せいっぱい
アルツハイマーを発症して7年、
夫の介護を続けているが、
以前よりずっと優しくなった。
毎日二回の散歩では手を繋いで歩く。
結婚して44年、今がいちばん幸せです...
という新聞掲載の投稿を朗読。
「素敵なお話をいただきました。
仲良く手を繋いで歩く、いいですねえ。
介護は大変なこと、たくさんありますが、
スキンシップが増えるという一面はありますね。
親父の手を握るなんて何年ぶりか、
照れずに堂々と手をつなげる、そういういい所もありますね」
第802回 マラソン大好きなおじさん
70歳になる叔父さん。
定年退職後にマラソンを走り始め、
今では年に数回、全国各地に走りに出かけています。
健康にいいぞと勧められても、
走るのは苦手なのでウォーキングしてます...
という40代女性のメッセージをご紹介しました。
「鉄人ですね!
70歳で年に数回のフルマラソン...というのは。
去年走った息子に聞いたら『二度とやるか』って言ってましたが。
なんで皆さんそう走りたがるんですかねえ...」
第801回 風呂上がりの仕草が...
湯上りに、タオルを筒状に丸め
体をバシバシ叩いて水滴を落とす父。
久々に帰省した家で風呂に入ったら、
母親に「お父さんと同じ音がしていた」と言われた...
やっぱり年をとると、親子って似てくるのかな...
と、東京在住の40代男性からメールを頂戴しました。
「よく銭湯でそれやってる人いましたけどね(笑)
やっぱり似るもんですね。
俺も自分の出た番組を見てて歩き方が一緒なんで、
ガックリきたことがありました」
第800回 いつも私に食べさせてくれた母
ご飯が残り少なくても、
必ず「もっと食べな」と勧めてくれた母。
不思議なもので「もうないよ」といえば子どもはもっと食べたくなる。
だから逆に「もっと食べなさい」と。
母はお釜にこびりついたお焦げを集めて我慢していた。
無理がたたって、69歳で亡くなってしまった...
その年齢を、私は越えようとしています...というメール。
「親が亡くなった年齢って、
子どもにとっては大きな一つの壁というか...
中井貴一さんも、お父さんが亡くなられた年齢になったとき、
感慨深いものがある、と話していらっしゃいました。
いま、俺は義理の父が亡くなった年齢になりました。
改めてここから先、女房を幸せにしていかなきゃいけないな、
と、思いますね」
第799回 叔父、叔母たちに育てられた私
両親は商売をしていて忙しく、
同居していたおじさん、おばさんたちが
よってたかって面倒を見てくれた。
いろんなものを食べさせてくれ、
いろんな場所に連れて行ってくれ...
「親は厳しいところもありますが、
叔父さん叔母さんは甘やかしてくれて...
いっぱいいい思い出がありますね。
相撲を取ったり、ドライブに行ったり、
初めてプロ野球を見せてもらったのも伯父さんでした...
でもおじさんが作ったおにぎりが
手に持つとすぐグズグズに崩れちゃって(笑)」
第798回 亡き父と同じ食べ方をする娘...
小学4年の女の子が、
トーストにバターやジャムを塗って、
その面を下にして食べていてびっくり...
それは彼女が生まれるずっと前に他界した
おじいちゃんと同じ食べ方だった...⁉︎?
「この食べ方、なるほどな、と思います。
今度やってみたいなと思いますが...
こういうの、隔世遺伝って言うんですかね。
うちの親父が生卵に焼き海苔をつけて
ご飯に巻いて食べてたら、
うちの息子たちも同じ食べ方をする。
ん? と思ったら、俺も同じ食べ方してました(笑)
遺伝じゃなくて、渡辺家の伝統ですね」
第797回 反抗期にも交換日記
高校生になった息子と今でも交換日記をしている。
始めたのは小学生だった頃。
反抗期になっても日記は続き、
自分の言動を見つめ直すことができました...という
新聞掲載のお便りをご紹介しました。
「ステキですね...
何かを書きとめるのはいいです。
女房も5年日記をつけてますし、
俺も10年くらいかな、つけています。
食事も書き留めるようになったら、
痩せるようになりましたね。
今年サボったら、すぐ太っちゃいました。
書くのは大事なんですね~」
第796回 息子と飲みに行きました!
20才になった息子さんと居酒屋に行き、
将来の夢や彼女の事など、しみじみ語り合った...
というメッセージをご紹介。
「これは父親の夢ですよね。
息子が小さい頃は一緒に飲めるかな...と思うんだけど、
いざ成人する頃には、こっちが弱くなってる。
一緒に飲むこともあるんですけど、
家族と飲むと回りが速いですね。
明らかにつまらないギャグを連発してて(笑)
息子たちが引いてます」
第795回 母の服は手作り
70歳になるお母様は、若い頃洋裁学校に通っていたので、
自分の服はほとんど手作り。
「昔は太ってる女性用の服がまったく売られていなかったから、
自分で作るしかなかったんだよ」...
思わず「そうそう!」という徹さん。
「昔は大きいサイズの服、なかったんですよ。
俺もピークは130キロありましたから...
既製品はないし、輸入物、好みよりもサイズ優先で。
ハワイに行ってようやくいいお店を見つけて何十着も買いました。
名前がBig&Tallっていうお店でした...」
第794回 おばあちゃんの番傘
おばあちゃんの部屋には番傘が吊ってあります。
その昔、亡くなったおじいちゃんと相合傘した、
思い出の番傘...というメールをご紹介。
「番傘が暮らしの中にあるのはいいですね。
京都の料亭とかで貸してもらったり...
親父も昔、番傘を差して帰って来たりしたな~。
時代劇で差すこともありますが、けっこう重いんです。
うまく差せれば粋なんですが、
一丁前に差すの、難しいんですよね...」
第793回 ママ、あのね...
忙しい毎日、つい子どもを怒鳴ってしまう事があるが、
そのたびに自己嫌悪になってしまうお母さん。
自分から「ごめんね」と謝れないでいるうちに、
娘の方から「ママ、あのね...」とはにかんだ笑顔で話しかけてくれる...
「これはありますね、つい感情的になっちゃうんですね。
子どもばかりじゃありません。
女房にもおばあちゃんにも...あとから3倍くらい時間をかけて、
後悔しちゃうんですよね...大事なのは反省することですね」
第792回 叔母さんは100歳!
100歳になった叔母さんは、施設で暮しているが、
去年、運動会の車椅子競争で一等賞に!
これからも時間のある限り会いに行きたい...という
姪御さんからのメッセージ。
「一等賞素晴らしいですね。
うちの親父も施設でお世話になっています。
昨日、ちょうど電話がかかってきていろいろ話しました。
特に用事はなかったみたいなんで、
ちょっと急かすように切ってしまいましたが...
後から考えると、電話をかける相手なんて、
一人息子の俺しかいないんですよね。
悪い事しちゃったな。
何の用事もない電話というのが、
実は一番大事なんじゃないでしょうか...」
第791回 おばあちゃんは双子!
母と叔母は瓜二つの双子...という女性からのお便り。
娘さんが2歳の時、初めておばあちゃんとその妹を見て、
「おんなじ~」とびっくりして戸惑っていた、
100歳までがんばれば、きんさんぎんさんみたいになれるかも
...というエピソードをご紹介。
「きんさんぎんさん、懐かしいですね!
芸能界でもザ・ピーナッツとか、マナカナとか、タッチとか...
マナカナとも舞台で一ヶ月共演しましたが、
一緒に過ごすと、どっちがどっちか、わかるようになるものですね。
でもしばらく会わないと、またわからなくなっちゃう(笑)」
第790回 母の手作り竹スキー
スキーがほしい、と母にねだったら、
上手に竹を切り出し、細工して「竹スキー」を作ってくれた。
ほかにも竹で様々な道具を器用に作ってくれた
お母様の思い出をお寄せいただきました。
「うちの親世代も本当に器用でしたね。
自分で作らざるを得なかったのかな。
親父や叔父さんに、竹とんぼや、輪ゴムの鉄砲とか...
よく作ってもらったものです」
第789回 あの日、木に登らなければ
頑丈だったけど、飲み過ぎと認知症を患い、
枝打ちのため木に登って落ち、大腿骨骨折、
そのまま入院中肺炎で逝ってしまった父...
あの時木に登らせなければよかった...
「親って亡くなってみると、
あの時ああすればよかった...っていうのが
押し寄せてくるんですよね。
でもね、このお父さんはきっと、
お酒が好きだっただけだと思いますよ」
第788回 少しずつ自信が持てた
小学校入学時、発達障害と診断された息子さん。
赤ちゃんの頃からよく泣き、育てるのがとても大変だったけれど、
少しずつ子育てに自信が持てるようになっていった。
3年生で特別学級に入ると、その発達が目に見えてわかるようになった。
それぞれの子どもがそれぞれのスピードで発達していくもの...
これからも息子と共に成長していく、と言う新聞掲載の投稿をご紹介。
「自分で悩むことってありますよね、何で上手くできないんだろう...って。
医者の友達がよく言うんだけど、
原因を突き止めるのと、治療するのが、半分半分。
だから早めに専門機関に行って相談するのは本当に大切なんですよね」
第787回 弁当を黒こげにした妹
幼稚園に通っていた妹が、
お兄ちゃんのために...と、ガスで弁当を直接温め、
黒焦げにしてしまった。
それを自分でやったと言い張って、
妹をかばったお兄ちゃん...
昭和の昔、電子レンジがない時代のお話。
「じーんときますね。お兄ちゃんのために温めてあげよう、って。
マネはしないでいただきたいですが、心が温まるお話です。
弁当は昔冷たいのが当たり前でしたよね。
それをどう温めるのか...
学校のストーブの上においておくとか、
用務員さんの部屋で蒸すとか...ありましたね」
第786回 電話で声を間違われる親子
父親の友達から家にかかってきた電話に出たら、
父親と間違われた。
その話を父親にしたら、あっちはあっちで、
俺もお前に間違われたことがある、という...
携帯電話全盛の今では、もうこういう話も
少なくなってしまっていると思いますが...
「これはあります!
俺も新婚当初、義理のお袋と女房がよくわからなくて
...これは女房、カンカンに怒ってましたけどね。
最近では、長男と次男、どっちかわからない。
ショックだったのはマネジャー。
電話の受け答えの途中にウン、ウン...っていう癖があるんです。
目上の人に失礼だからやめろ、って注意したんですよ。
でもその話を女房にしたら、
エーッ!それ、お父さんとそっくり! って...ショックでしたね(笑)」
第785回 両親の心に背いて結婚した私
今日で番組スタート満3年!
今後ともよろしくお願いいたします。
さて、今日ご紹介したメッセージは...
両親の心に背いて結婚、
それからもさんざん迷惑をかけたけれど、
一つの文句も言わなかった母...
いま自分の子どもが結婚を意識する年齢となり、
あの頃の母の気持ちを思いやれるようになった...
「うちの両親も親に背いて駆け落ち結婚。
お袋が18、親父が23で文字通り突っ走ったんですね。
で、俺が生まれてからまた交流ができた...
二人とも親に迷惑をかけたという思いがあったのか、
おじいちゃん、おばあちゃんをよくドライブに連れて行ったり...
そして俺にとっては、おじいちゃん、おばあちゃんが
親の目を盗んで小遣いをくれて...本当にお世話になりました(笑)!」