番組ブログ
第960回 認知症の母が大笑いして...
認知症で施設に入所している母。
ある日、お楽しみ会に出かけていくと、
体格のいい女性職員2人が、顔を真っ白に塗りたくり、
山口百恵引退コンサートのパロディを演じた。
母も大笑い!そして普段は誰だかわからない
息子さんのことを「わかる」と...!
笑いのもたらす力に驚きました、というメールをご紹介。
「笑いは本当にいいらしいですね。
うちの親父もカラオケ大会で司会をすると、
みんなが大笑いで! 笑いはやっぱりいいんです」
第959回 行列の先頭にいたのは...
年に一度の道の駅のイベント、ジャガイモのつかみ取り。
5分前に駆けつけてみたら、もう長蛇の列。
その先頭にいたのは...なんと両親だった...
似てる〜やっぱり家族だね!
私のメッセージが読まれるのを夢見ています...
「おめでとうございます、夢が叶いました!
それにしても、つかみ取りとか詰め放題とか人気ありますよね...」
第958回 夏の最後に宿題特訓
8月最終週に3日間休暇を取って
ずっと遊び呆けていた子どもの宿題を一気に片付けた。
それを2年続けたら、子どもの方が何かを感じたのか、
自分から進んで宿題をするようになった...そして今では教師に!
「お母さんが努力して3日間やったって、
そのまま大人になっていく子が多いのに
立派ですよね」
第957回 おじいちゃんは馬に乗って
東北の田舎で少女時代を過ごした方のエピソード。
夏になると、隣町在住のおじいちゃんが、
馬に乗って遊びに来てくれた...というお話。
「これは素敵ですね、映画のワンシーンみたい。
なかなか経験できる人、いないですよね。
シェーンを思い出すなあ。
最近はシェーン カムバックみたいな
心に残るセリフが少なくなったような気がします」
第956回 我が家を火事から守った父
隣の家が火事!
すわ一大事、と父がありったけの毛布やござに水をかけ、
藁屋根に敷き詰めて、家を火事から守った...という
「父親がスーパーマンに見えた」お葉書をご紹介。
「素晴らしいですね。
何かあった時こそ、父親の偉大さが実感できる。
俺も頑張ってますよ。天井の電球を替えたり、
重い荷物を持ったり...なかなかのスーパーマンでしょ?」
第955回 母への電話回数が倍増
80歳になった母に、この番組を聞いたのをきっかけに
電話の回数を週1回から2回に増やしました...
という男性からのメッセージをご紹介。
「うちも親父が施設にお世話になってますが、
ちょっと連絡しないでいると、すぐ電話がかかってきます。
しかも時間が早い。6時半とか...
電話を切るときには必ず、無理をするんじゃねえぞ、と声をかけてくれるんです」
第954回 祖母の絶品お葉漬の秘密は
信州から届いたお手紙。
近所でも評判の、美味しいお葉漬け(野沢菜漬け)を
こしらえていた祖母。
実は「味の素」をかけていた...
「漬物美味しいですよねえ。
味の素も美味しいです。うちの女房の父親と母親は
味の素で職場結婚でした!」
第953回 息子が作った「僕の家系図」
小学4年生の夏休み、息子が自由研究に
「家系図」を作ったエピソードをご紹介。
いろいろなエピソードを知り、
家族の大切さを感じたのでは...
「素晴らしいですねえ。
俺なんかどれくらい前からわかってるか...
命の尊さを再認識させられますね」
第952回 運動会は「巻き寿司」で
運動会と遠足は必ず「巻き寿司」。
前の晩、お母さんが作っている横に立って待っていると
卵焼きやかんぴょうがはみ出した端っこを
分厚く切って食べさせてくれるのが
何よりも楽しみでした...
「わかるなあ、これ!
端っこの飛び出したのを切ってもらうの、
俺も楽しみでした。
基本的に食べ物、端っこ好きですから。
うちの巻き寿司はウインナーソーセージとキムチ入りで、
これが美味しいんですよ。郁恵ちゃんも息子に作ってます!」
第951回 みんな似ている後頭部
男の子ばかりの四人兄弟。
父親も含め、全員スポーツ刈りで、
後ろから見るとみんなおんなじ後頭部、
笑ってしまいます...
「わかります。
親子って本当に後頭部が似てくるんですね。
テレビで自分の後頭部を見ると親父とそっくりで...」
第950回 下駄をお菓子と間違えた母
母に冬下駄を送った娘さん。
使い心地はどう? と尋ねると、
お菓子と間違えて仏壇に供えていた...
「よくお客様から差し入れをいただきますが、
整理するのが一仕事で。
いただいたものをその人に返してしまったこともあります(笑)」
第949回 我が家の酢豚はジャガイモ入り
幼い頃食べた我が家の酢豚には
いつも必ずジャガイモが入っていた。
それが普通だと思い込んでいたので
初めて外で食べた時はカルチャーショックだった...
という女性からのメッセージ。
ちなみにこの方のお祖母様は、ミカンに醤油をつけたのをおかずに
ご飯を何杯も食べていらしたそうです!
「酢豚にジャガイモ、美味しいんじゃないですか。
いいと思います。
それからミカンに醤油ですか? これは想像できないなあ。
大概のことは許してきましたが...誰かチャレンジしてくれませんか」
第948回 父の料理の腕前
手足が不自由になった母に代わり、
83歳にして料理を担当することになった父...
次第に腕を上げて、友人を家に呼ぶまでになった。
家事全般を楽しみながらできるようになった父を見て安心したのか、
母は眠るように亡くなった...という新聞掲載の投稿をご紹介。
「うちもそうでした。お袋が関節リウマチでだんだん動けなくなって、
まったく料理を作らなかった親父が、自宅介護するようになったんです。
最初はお袋から強烈なダメ出しを受けましたが、
どんどん上達していきました」
第947回 誕生パーティのサプライズ
小学生の頃、近所の友人を呼んで開いた誕生会。
母がドーナツを揚げ、祖父母から送られた果物を食べ、
父が流しソーメンをやってくれた...正にサプライズ!
母の手作りドーナツは定番の味でした!
「俺もやりました。
うちは裕福じゃなくて四畳半六畳に台所の名古屋でしたが、
その六畳に8人。
見よう見まねでお袋が作ったナポリタン。
唐揚げ、ケーキ...あの時が一番嬉しかったような気がしますね。
そう、ドーナツも家庭で揚げるもんでしたよね」
第946回 母の味を引き継いだ娘
子どもの頃から娘たちに料理を仕込んでいたお母様。
横浜に進学した娘が帰省した際、
ブリの照り焼き、肉じゃが、小松菜の煮浸しを作ってくれた。
母の味はきちんと引き継がれている!
「うちの息子二人も料理好きなんです。
裕太のあだ名はムルパス=無類のパスタ好き。
雑魚と青菜のパスタとか。
こないだは本格的なリゾットを作ってました。
俺も負けてられないから、昨夜、ステーキを食わしてやりました!
美味い、と言わせて『勝った...』と思いました」
第945回 少女時代の写真
母の骨折を機に会いに通うようになった息子。
95歳の母親の昔の写真を整理してアルバムを作ると、
当時のことを目を輝かせて話してくれた...
「年配の方に昔の写真や映像を見せるのはとてもいいみたいですね。
ウチでも昔から撮りためた映像を息子の発案で
親父に見せに行ったら、小さなことまでよく覚えているんですよ
この店は料理が出るのが遅くて...なんて」
第944回 父はオイルの匂い
自動車整備工だったお父様。
帰ってくるといつもオイルの匂いがした。
お母様は
「お父ちゃんが働いた匂い、稼いできた匂いだよ」と。
その頃は友達の家に遊びに行くと、
それぞれの家庭の匂いがあった。それが昭和の匂いかも...
「おっしゃる通りですね、その家庭ごとに独特の匂いがありました。
いまは消臭剤などいろいろあるからでしょうか。
仕事の香りというのもありましたよね。
寿司屋の友達の家には魚の匂い。焼肉屋には肉の匂い。
燃料屋の落合くんの家に行くとガソリンの香りがするのが大好き。
我が家は酒の匂いだったようです...」
第943回 親戚一同、みんな似てます
お盆で一族が集まり大宴会、
よくよく見てるとみんなそっくり!...
面白いし、飽きません...
「渡辺家も年末に親戚一同、近所の人も集まっての大宴会。
20年以上もやってましたかね。
叔父叔母、みんな歌を歌うんですが、
レパートリーが一緒で...きょうだいだから傾向も一緒。
人の持ち歌を先に歌っちゃう叔父がいたりすると大ゲンカ(笑)
でも郁恵に言わせると、渡辺家の人はみんな似てるところがあるって。
どこ?と聞いたら
『みんなご飯を美味しそうに食べる』...って」
第942回 優しい上の孫娘
1歳半の妹を、とてもかわいがる孫娘。
おじいちゃんにも、おばあちゃんにも、とても優しい。
「ありがとうね」とお礼を言うと
「あたし、おばあちゃん、おじいちゃんが大好き!」
この一言に、目頭がジーンときました...というメッセージ。
「そうなんですよね。
おじいちゃん、こんなことされたらたまんないですよね。
うちも小さい頃、子どもたちの書いた手紙、絵...
特注の額に入れて飾ってあります!」
第941回 どんなに忙しくても、手作りの妻
どんなに忙しくても疲れていても
レトルトや出来合いのものは使わず、
手料理一筋の妻...
「うちも義理のお袋も女房も、レトルトや冷凍食品嫌いなんですが
俺は大好きなんです(笑い)
第940回 優しい風吹き込む〝長女〟の存在
自分や夫のためにいろいろ心を砕いてくれる
長男の嫁。本当に嬉しく思っている...という
新聞掲載の投稿をご紹介。
「理想ですよね、素晴らしいお嫁さん。
そりゃ気遣いがあるのが当たり前ですが
それを続けて行くことで本当の幸せがくるんですよね」
第939回 豆腐屋を守った伯母
両親、そしてその亡き後は姉夫婦を支えながら、
生涯独身で豆腐屋を切り盛りした伯母さんの思い出。
「人が亡くなるとその場所もなくなってしまうんですよね...