番組ブログ
第502回 熊本のリスナーを迎えて(2)
熊本放送のリスナー、合志市のラジオネーム
「いろえんぴつ」さんを迎えてお送りする2日目。
ご長女がノルウエーの方と結婚され、
先日、年末年始をノルウエーで過ごされてきたとのこと!
今日は現地での話を中心に伺いました。
「クリスマスは親戚一同が集まって...50人くらいが一軒の家で、
お取り寄せのお肉ドン、じゃがいもドン!
向こうの方は、牛肉よりも安いのでトナカイが多いです。
食べにくくはなく、切れば柔らかいですよ(笑)。
トナカイのソーセージもありました。
お菓子はお姉さんが焼いたケーキ、お婆ちゃんのプディング...
といった具合で、10種類くらい並びます。
ほんの一切れと思っても、1ホールくらい食べちゃいましたね。
そういう時もお酒は出ないで、ジュース」
熊本の結婚式・宴会はお酒が出ないと始まらないのに...と、
RKK木村アナウンサーもビックリ!
第501回 熊本のリスナーを迎えて(1)
熊本からお送りする2週目。
月曜日と火曜日は、熊本県合志市のリスナー
ラジオネーム「いろえんぴつ」さんをスタジオにお迎えして、
楽しいお話をいろいろ伺います。
「今は旦那と次男と一緒に住んでます。
長男は外で働いていて、長女は東京にいます」
なんとご長女は転勤先の東京でノルウェーの方と知り合い、
ご結婚されていらっしゃいます!
「長女が中学生の頃、外国の方を泊める
ホストファミリーをしばらくやっていたことがあります。
そんな経験があったことも影響しているのかもしれません」
東京に行くとき、東北や北海道の人と結婚するかもしれない、
それはそれで仕方ない...と思っていたけれど、
何処の人? って聞いたら「ノルウェー」って...
「えー! 遠いねー!」
そして最初に熊本に来たときは
「色が白かねー!」
それが最初の感想だったそうです!
第500回 熊本の皆様からのお便りご紹介(3)
RKK木村アナと共に、熊本放送を通じて募集した
メッセージをご紹介する最終日、
今日は荒尾市の30代女性から届いたメールのご紹介。
「去年、番組で実の母が投稿したメールを偶然聞きました。
そこで私もメッセージを送ります。
いつも心配してくれてありがとう!
春になったら子どもたちを連れて遊びに行くからね」
さて、金曜日恒例の「お母さんトーク」ということで、
木村和也アナウンサーにお母様のお話を伺いました。
「74歳になります。
人が集い、みんなでわいわい賑やかにやってるのが好きですね。
熊本もとても気に入ってくれていて...
大怪我をして1年くらい入院しているときも付き添ってくれて。
母はそんな時も何の根拠もなく
『なんか和也、大丈夫な気がするんだけど』ってずっと言ってくれてました。
その言葉に救われてきたような気がします。偉大ですね」
第499回 熊本の皆様からのお便りご紹介(2)
RKK熊本放送を通じて募集したメッセージをご紹介する2日目。
今回は遊び三昧で奥様にさんざん迷惑をかけたものの、
義理のお父様に温かい言葉をかけられて立ち直ったという
60代男性からのお手紙。
「去年の地震の後は、しばらく車中で暮らしながら、
ご近所の皆様と一緒に食材を持ち寄り、助け合って暮らしました」
立て続けに大地震に襲われた熊本、
それまではほとんど地震を経験したことがなかっただけに、
市民の皆様の驚きも大きかったようです。
「最初の地震のあと、ほぼ一日かけて片付けた後に、
さらに激しい本震が来たので、
ダメージは大きかったんじゃないかと思いますね」(木村アナ)
現在、何が必要ですか? という徹さんの問いに
「いま熊本が元気に動いている、ということを
風化させずに知っておいて欲しいですね。
そして機会があればぜひ遊びに来て欲しい。
地震の前よりもエネルギッシュというか、
みんなが前向きになっている熊本を見ていただけると思います」
第498回 熊本の皆様からのお便りご紹介(1)
RKK木村和也アナウンサーと共に
熊本からお送りする「家族の時間」も3日目。
今日から3日間は、熊本放送をお聞きの皆様から
届いたメッセージをご紹介します。
トップバッターは、熊本市で農業を営む女性からのメッセージ。
築160年の古い家で暮らしていらっしゃいます。
去年の熊本地震では「家が潰れる!」と思わず車に避難したら、
離れて暮らす長男が様子を見に駆けつけてきてくれた。
そして「地震のせいじゃないけど」といいながら、
同棲する彼女と結婚することに決めた...と
嬉しいことがありました、とご報告いただきました。
「私も本震のとき、泊まりで会社にいたんです。
妻と子は熊本市内のマンションにいましたが、
家の中のものはすべて全滅でしたね...」と木村アナ。
「熊本県全体としては、前向きな思いをみんな持っています。
熊本城も地震で瓦が落ち、石垣が崩れて...
地元の人間は涙する方が多かったですね。
でも今はそれが熊本復興のシンボルになっているように思います」
第497回 熊本放送木村和也アナウンサーと共に(2)
昨日に引き続き、RKK熊本放送、
木村和也アナウンサーにお話を伺います。
16年前、「再び歩ける可能性は1%未満」という
過酷な宣告を受けた木村アナウンサー。
リハビリの日々を支えてくれたのは、現在の奥様でした。
「ケガをしたのが3月でしたが、
彼女とお付き合いを始めたのはほんの数ヶ月前でした。
スタートラインについたばかりの時期。
これからいろんな思い出作るぞ、みたいな...
そんな時期のケガだったので...」
「将来を考えるより、目の前のこと。
どうなっていくかわからない中での入院生活でした。
お付き合いも一回リセットしようと伝えたんです。
そしたら、『今それを考えるときじゃないと思う。
考えるのはもっと後のことにしよう。
今は体がよくなること、前向きに考えていきましょうよ』
...そんな風に言ってくれたんです。
火の国の女、腹の据わり方が違いますよね」
それから7年後のご結婚まで、二人にどんな時間が流れたのか...
感動的なストーリーをお送りしました。
第496回 熊本放送木村和也アナウンサーと共に(1)
今週と来週は熊本市からお送りします!
今日と明日は、RKK熊本放送の
木村和也アナウンサーを迎えて、いろいろお話を伺います。
縁も親戚もいない熊本の地に就職して26年という木村アナ。
2001年にテレビの取材中、パラグライダーの体験飛行中、
突風に煽られて墜落し、脊髄損傷の重傷を負いました。
「手術して麻酔から目が覚めたのは翌日の明け方。
医師は、再び歩けるようになる可能性は1%あるかないかと」
「今日初めてお目にかかりましたが、
普通に歩いていらっしゃいますね...」
それでも一生「リハビリ」と付き合っていかなければいけないという
木村和也アナウンサー、
「自分の思うようにいかないことをマイナスにとらえるより、
できなかったことが少しでもできるようになったことを
喜びに変えていくという時間の過ごし方が大切だなって」
なぜこんなに前向きになれたのか、
そんなお話を明日も引き続き伺います!
第495回 決して甘えない母
杖をつき、日々を過ごしていながら、
決して苦しいと言わないお母様。
もう甘えてもいいんだよ。でも決して甘えないんだろうな...
そんな母が大好きです、という40代男性からのメールをご紹介。
「お母さんに対する男の気持ちが集約されてますよね。
俺たちの親世代って、本当に甘えないし、
痛かったり苦しかったりすることを隠しますよね。
でもこれからは、何でも気軽に打ち明けられる環境を
整えていくことも大事かもしれませんね」
来週から2週間は東京のスタジオを飛び出して、
熊本からお送りします! どうぞお楽しみに。
第494回 40日間261枚の宝物
夏休み中、孫の面倒を見ることになった女性。
成長記録をつけようと、得意のカメラで写真をたくさん撮りました。
今ではそれが宝物です...という投稿をご紹介。
「いいですね。一日6枚、7枚を毎日。孫はかわいいっていいますよね。
義理の姉の家に孫が生まれましたが、義姉も義兄も本当に変わりました。
今までよくウチに来てたんですが、全然来なくなりました。
俺の酒の相手も全然してくれなくなっちゃって(笑)」
第493回 関節リウマチでうまく小銭を持てない母
リウマチで指が曲がってしまい、うまく小銭を持てない母。
レジではお札を必ず出すので、財布の中はつり銭の小銭で一杯...
「リウマチは本当に大変ですよね。指は曲がる、痛みはひどい...
うちの母もそうでした。
そして人に迷惑をかけたくない、と自分自身が一番気を遣うんですよね。
周りがちゃんと気を配らないといけないですね...
それにしてもレジ! どこに並ぶのか決めるだけで、みんなヤキモキ。
なんでみんなあんなに必死になるんでしょうね」
第492回 頑張ってる85歳の父へ。
寝たきりの母を介護しながら、米作りを頑張ってる85歳のお父さん。
農作業が生きがい。カラダが心配だけど、
電話で話すと、娘さんの体のほうを気遣ってくれる...
「85歳で一人で米作り! これは凄いですよね。
やっぱりお好きでいらっしゃるから気力が生まれるんでしょう。
義理の母も、女房にいろいろ言われても、動きますよね。
掃除の人が来る前に家を掃除したり、美容院に行く前に頭にカーラーを巻いたり...
それがたしなみというものなんでしょう」
第491回 おじいちゃんは刃物研ぎの天才!
自慢の家族はおじいちゃん、得意なのは包丁研ぎ。
あっという間に切れ味が戻る...というメッセージをご紹介。
「刃物研ぎの天才ですね。
うちのおじいちゃんはお話の天才、おばあちゃんは卵焼きの天才。
伯父は相撲の天才でした。俺は何の天才かな? 電球取替えの天才かもしれません」
第490回 なぜあんなに母に反発したんだろう
83歳、認知症を患う母。
元気だった頃は、反発するばかり。
どうしてあんなに反発したんだろう、と後悔している娘さんからのメールをご紹介。
「親子っていうのは衝突しますよね。歯に衣を着せぬ言い方で...
遠慮がない、ホンネで話せるからですかね。
うちも女房とそのお袋のやり取りみてると、それは凄いですよ」
第489回 自転車に乗れるようになった娘
愛媛県からのメッセージをご紹介。
2月12日、渡辺裕太さんが愛媛マラソンに出てくれる、
どうもありがとう!
わが家の子どもたちも二人とも小学生。
長女は自転車に乗れるようになりました。
成長がうれしい今日この頃...という内容でした。
「そうらしいんですよ。
裕太にはマラソンを甘く見ちゃダメだよ、と言ったんですけどね。
俺は走ったことないですけど(笑)
昔はよく付き人にマラソンを走らせて、それを見るのが大好きでした。
でも息子がやるとなると...どうしようかなあ...こっそり応援しに行こうかなあ...
愛媛、おいしいものがたくさんあるし」
第488回 父の介護 しんどいけどがんばる
母が亡くなり88歳の父と同居を始めた女性。
要介護2、デイサービスやショートステイにも行きたがらない父。
日々の介護は本当に大変。
でもあと何年か...と思うと、がんばろうという気持ちになってくる、
というメッセージをご紹介。
「疲れる瞬間、介護をしていると必ずありますよね。
みんな最初はヘルパーさんを頼んだりするの、嫌がります。
でも徹底的に話し合って...ご自身が疲れて倒れないためにも、
いろいろな手段を利用されることを考えてみてはいかがでしょうか」
第487回 家族が揃ったあの日
70代の女性が、戦争中の思い出、
そしてフィリピンからお父様が復員されてきた日の
鮮明な記憶をご投稿くださいました。
「何が悲しいって、家族がバラバラになってしまうこと。
家族が揃って暮らせるのが何より幸せですよね」
第486回 現場監督になった頑張り屋の母
建築現場で働く母。
働きながら必死に勉強して建築士の資格を取り、
念願の現場監督になることができた...というメッセージをご紹介。
「よく頑張りました! 8年も続けて受験されたとは。拍手を送りたいですね。
昔、俺の知り合いがピアノのバイエルを8年やったというのがいました。
今はかなり上達していますね。石の上にも8年頑張るといいのかもしれません。
桃栗3年、柿8年、頑張っていきましょう!」
第485回 早見優さんを迎えて その5
最終日はお母様のお話を伺います。
「私が25歳の時に母が亡くなりました。
祖母とずっと3人で暮らしてきましたから、
母は母と言うよりも、姉のような関係でした。
今の私と長女の関係とよく似てるんです!」
なんとお母様は芳村真理さんと同期のファッションモデルで、
日本人として初めてパリコレに出た方なんだそうで...
「父はジャズシンガーで、母はファッションモデル。
結婚生活がうまくいくわけがないですよね(笑)」
とても自由奔放だったというお母様。
「だからデビューも賛成してくれるかと思ったら、大反対。
背中を押してくれたのが、厳格な祖母でした」
いま二人のお嬢様の母親として、どんなことを考えていますか?
「祖母と母、二人のいいところを受け継いでるな、と思いますね」
「夏色のナンシー」の振付の難しさを見事に言い当てた徹さんに、
早見優さんもビックリ!
デビュー35周年という早見優さん、これからもご活躍をお祈りしています。
第484回 早見優さんを迎えて その4
木曜日は、二人のお嬢様について伺います。
「いま15歳と14歳です。
お姉ちゃんはクールで、器用ですね
何でもサクサクってやっちゃう。
もうちょっと頑張れば、すごくよくなると思うんですけど。
次女は何事にも一生懸命ですね。
きょうだいでも、全然違う性格です」
優ちゃんはいつうも笑顔の印象なんですけど、
怒ることあるんですか?
「ありますよ(笑)。
私、バン!と怒って終わりなんです。男っぽいかな」
ご長女は歌好きで、一緒にステージに出たりすることもあるとか!
「じゃあ将来は...」
「(芸能界には)興味ないって言うんです」
「みんなそう言うんですよ。ウチもそうでした」
さて、早見優さん似の二世歌手が生まれるんでしょうか...!?
第483回 早見優さんを迎えて その3
3日目は、ドイツで生まれてイギリスで育ったという、
早見優さんのお祖母様(お母様のお母様)のお話を伺います。
「日本人なんですけど、生まれる前にヨーロッパに渡って、
イギリスで祖父と出会い、25歳で初めて帰国したんです」
5ヶ国語が話せたというお祖母様!
元祖・帰国子女だったんですね。
「おばあちゃんと話す時は英語、母とは日本語で話していました」
とはいえ、明治の女性だけに、大和撫子。
「あなたは日本人なんだから、
きちんとした日本語を話せるようになりなさい、って、
厳しく躾けられました」