2月29日(月) 「芽ばえ」でデビュー
大分出身の麻丘めぐみさんは、16歳の時、「芽ばえ」でデビューしました。
でも、芸能界のデビューは3歳の時。
子役として活動していたお姉さんに付き添っていたところ、声がかかったそうです。
きっかけはいつも、お姉さんの付き添い。
自分の意思とは関係なく、芸能界に入っていくことになりました。
レコードも、「1曲だけなら」と出した曲が「芽ばえ」でした。
テーマは「『芽ばえ』でデビュー」というお話です。
3月1日(火) 歌手活動と「わたしの彼は左利き」
デビュー曲「芽ばえ」がすぐにヒットした麻丘めぐみさんですが、
歌手を目指し、苦労していたお姉さんに申し訳ないという気持ちがありました。
しかし、お姉さんのサポートを得て、代わりに夢を果たすんだと思えるようになります。
その後、5枚目のシングル「わたしの彼は左利き」は大ヒットし、
今の20代にも知られている名曲となりました。
テーマは、「歌手活動と『わたしの彼は左利き』」についてです。
3月2日(水) 「芸能界引退と復帰」
歌手活動を5年で打ち切った麻丘めぐみさん。
結婚と引退に、周囲は驚かされました。
これは、違う道を行きたい、人間らしく生きたいと考えた末の決断だったそうです。
娘さんが生まれたことは人生でも大きなニュースだったと振り返っていました。
しかし、結婚生活はピリオドを迎え、芸能界に復帰することになります。
そのフィールドは...お芝居でした。
「芸能界引退と復帰」のお話です。
3月3日(木) 「芝居に生きる」
芸能活動を再開した麻丘めぐみさんが選んだのは、芝居の世界でした。
「やりたいことをやる」と決意し、小劇場に顔を出すようになります。
その後、ベンガルさんや佐藤B作さん、柄本明さんらに出会い、
自らが舞台をプロデュースしたことで、芝居の大変さと面白さを実感されます。
カンパニーを立ち上げ、5,6年ほど続けたころ、
柄本明さんの一言に「このままやってて良いんだ」と涙が出たそうです。
テーマは「芝居に生きる」です。
3月4日(金) 「舞台に立ち続ける」
60歳を迎えた麻丘めぐみさん。
続けることの難しさがわかったからこそ、芝居を粛々と続けていきたいと話します。
また、60代になって、生きることの奇跡、普遍が幸せだということにも気づいたとのこと。
離婚後、新たなご縁がなかったのは、自分が不器用だから、だそうです。
そして、8月からは舞台「ペコロスに会いに行く」にご出演されます。
母親の人生にオーバーラップする役どころを、どう演じるのでしょうか。
テーマは、「舞台に立ち続ける」というお話です。
<プロフィール>
1955年10月11日 大分県生まれ大阪育ち。
3歳から子役・CMモデルとして活躍し雑誌「女学生の友」や「セブンティーン」にも専属モデルとして登場していた。 歌手だった姉の現場でスカウトされ、1972年17歳「芽ばえ」でレコードデビュー。 同年レコード大賞最優秀新人賞受賞。 その後「悲しみよこんにちは」「女の子なんだもん」「森を駈ける恋人たち」など次々とヒットをとばし73年7月に発売した「わたしの彼は左きき」が大ヒット。左ききブームが起こる。 その年には日本レコード大賞大衆賞、歌謡大賞放送音楽賞を初めとする数々の賞を受賞しNHK紅白歌合戦初出場を果たす。70年代を代表するトップアイドルとなる。 1983年に芸能界復帰後は女優として舞台、テレビ、バラエティー等で活躍。現在は「めぐり逢わせ」をテーマに講演会等の依頼も数多く受けている。