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ラジオ サロンdeくにまるの最近のブログ記事

12月19日~12月23日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、Chageさん

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12月19日 月曜日 「やんちゃだった少年時代」
福岡で生まれ育ったChageさん。
学生時代はギターとバイクに熱中し、ガソリン代を稼ぐためにお母様と彼女のお弁当を売っていたんだそうです。
今日は少年時代のお話です。

12月20日 火曜日 「CHAGE&ASKA結成」
高校から顔見知りだった2人ですが、2人が組んだのは、大学3年生のときにポプコンにチャレンジするため、ヤマハから「2人で組んでみない?」といわれたからなのだそうです。
CHAGE&ASKA結成までのお話です。

12月21日 水曜日 「メジャーデビュー」
「ひとり咲き」でデビューしたCHAGE&ASKA。
とにかく毎日がライブ三昧だったとか。
ヒット曲「ふたりの愛ランド」の裏話もお聞きしました。

12月22日 木曜日 「大ヒット曲」
1991年「SAY YES」がオリコン13週1位を記録してから、活動がガラリと変わったのだそうです。
ドーム3日は満杯で、家族や友人のチケットすら自分で手に入らない状態だったそうです。

12月23日 金曜日 「ソロ活動」
震災後、Chageさんは、現座に行って「自分は歌い続けよう」と思ったのだとか。
今回の新曲はそんな時に生まれたそうです。


<Chage>
1978年、高校時代からの友人・ASKAと共にチャゲ&飛鳥として第16回ポプコンに出場し、「流恋情歌」で入賞。
翌年、第17回大会でも「ひとり咲き」で入賞を果たし、同曲でメジャーデビュー。
現在はソロでの活動を中心にアルバム制作やライヴ活動を行なう。
2009年からは、ライヴイベン「Chageの茶」や、アコースティックバンドスタイルで「Chageの細道」ツアーを開始。

12月12日~12月16日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、原田美枝子さん

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12月12日 月曜日 「マーク・レスターに憧れて。」
家族の前ではやんちゃ、外では引っ込み思案という典型的な内弁慶だったという原田美枝子さん。
当時、スクリーンスターだったマーク・レスターさんに憧れ、映画のオーディションにチャレンジします。
しかし、最後の最後で落選してしまいますが、それがきっかけで芸能界へ入ることになります。
原田美枝子さんが芸能界に進むまでのお話です。

12月13日 火曜日 「意外だった原田美枝子のデビュー秘話。」
芸能事務所に入った原田美枝子さん、実は最初、山口百恵さんの対抗馬のアイドルとして売り出す予定だったそうです。
アイドルとして売り出す下準備が進む中、そんなおり、初出演した映画「ともだち」の話が舞い込み、アイドル「原田美枝子」の話が立ち消えてしまったそうです。
また、映画「ともだち」の現場で、長い付き合いとなる俳優「松田優作」さんと出会う事になるのでした。
芸能界デビューから、女優としてスタートを切った頃のお話です。

12月14日 水曜日 「女優 原田美枝子として」
1975年の映画「大地の子守歌」に出演した原田美枝子さん。
この映画でメガホンを握った「増村保造」監督。
大変、原田さんは影響を受けた監督だそうで、女優として、人間としての価値観を変える程だったそうです。
また、俳優「萩原健一」さんからの電話も、自身を見つめ直す出来事だったそうです。
「原田美枝子」さんの女優として、飛躍を遂げるキッカケになったエピソードをお話いただきました。

12月15日 木曜日 「黒澤明監督との思い出」
大スランプの渦中にあった原田美枝子さんに舞い込んだ黒澤明監督の「乱」への出演話。
見事、オーディションに合格し、撮影がスタートします。
撮影も終わりに近づいてきた頃、新しい黒澤映画の話が出てくるのですが、とある理由で、原田美枝子さんは仕事を受けるか悩んでしまいます。
そこで、黒澤明監督に直接相談を持ち掛けるのですが...。
原田美枝子さんと黒澤明監督とのエピソードをお伺いしました。

12月16日 金曜日 「母、原田美枝子 と 松田優作」
3人の母親である原田美枝子さん、松田優作さんのご家族と家族ぐるみのお付き合いがあったそうです。
初めての子供を松田優作さんに見せたとき「殺すなよ」と一言。
この一言で松田優作さんの凄さを改めて思い知ったんだそうです。
また、原田美枝子さんのお書きになった本や、ご出演している映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」についてもお話いただきました。


<原田美枝子>
東京都生まれ。74年に映画「恋は緑の風の中」で主演デビュー。76年「大地の子守唄」「青春の殺人者」に出演、18歳でブルーリボン賞新人賞、キネマ旬報主演女優賞など9賞を受賞。黒澤明監督作品「乱」(85年)、「夢」(90年)にも出演、「火宅の人」(86年)では日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、報知映画賞助演女優賞を受賞、「絵の中のぼくの村」(96年)でキネマ旬報主演女優賞、「愛を乞うひと」(98年)では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を始め、数多くの主演女優賞に輝く。さらに2001年、第55回毎日映画コンクール田中絹代賞受賞。そのほかテレビドラマ、舞台など幅広く活躍している。

12月5日~12月9日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、藤田朋子さん

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12月 5日(月) 「女優を目指すきっかけ」
小学生の頃の藤田さんは活発な子でしたが、中学生になり、何かをする怖さを知ってしまってからは、急に人見知りをする子になってしまいました。同級生の名前すら覚えようとしない時期があったそうです。そんな藤田さんはゴダイゴの大ファン。作詞者だった奈良橋陽子さんの英語塾に通っているうちに演劇の面白さを知りますが、その頃はまだ、OL仕事の片手間のアマチュア演劇家ぐらいのイメージしかもっていなかったのだそうです。

12月 6日(火) 「役者デビュー」
女子大生ブームのようなチャラチャラしたものを好きではなかった藤田さんは、進路に悩みますが、結局自分の引き出しを増やすために大学に進学、そしてアマチュア演劇の道を歩みながら、いろいろなオーディションを受けます。中にはサギっぽいものもあったようで、テレビのドキュメントで自分が受けたオーディションを見たときは驚いたそうです。そうしているうちにレ・ミゼラブルのオーディションに受かり、プロとしてデビューしますが、いろいろと失敗をしてしまいます。藤田さんらしい失敗談です。

12月 7日(水)  「わたる世間は鬼ばかり」
レ・ミゼラブルで、細かい失敗を重ねた藤田さんですが、デビュー2年目にして、NHKの連続ドラマ「ノンちゃんの夢』のヒロインに選ばれます。でも、まだまだ女優として世間では認知してもらえず、ちょっと悔しい出来事にあうこともありました。その後、20年間にわたる国民的ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演します。収録中、藤田さんは野村昭子さんの演技に心を奪われたのだそうです。もしかしたらこれが人生最後の出番、最後のせりふになるかもしれないと考え、一つ一つを丁寧にこなす野村さんの演技は、藤田さんに大切なことを教えてくれました。

12月 8日(木) 「音楽活動について」
藤田さんは歌手としても活躍しています。「のんちゃんの夢」で主役が決まったときにすぐに事務所の社長さんが歌手としてデビューをさせてくれたのですが、その後も多くの人との出会いがありました。藤田さんはポールマッカートニーの大ファンです。でも、インタビューの後、キスをされそうになった時には他のファンの目が怖くて思わずノーと言ってしまったのだそうです。後の旦那さん、桑山哲也さんと藤田さんの出会いも音楽活動が元です。藤田さんは今の御主人がディズニーシーで見せた意外な姿を見て、好意をもったのでした。

12月 9日(金) 「旦那さんと一緒に」
藤田さんと桑山さんがお付き合いをするようになったのは、深夜の電話でした。メールでもらった、「好き」という言葉が、好意なのか、恋の告白なのかが気になって眠れなくなってしまった藤田さんは午前3時に電話して確認したのだそうです。藤田さんの音楽活動はこの旦那さんと一緒です。藤田さん曰く、夫婦漫才。トークと音楽のバランスに気をつけながらのライブだそうです。年明けの舞台、女たちの忠臣蔵についても伺います。


<藤田朋子>
ミュージカル『レ・ミゼラブル』の一般公募に合格、アンサンブルでデビュー。
翌年NHK朝の連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』でテレビデビュー。
以降、ドラマ、舞台、ラジオ、物書き、ライブなどで活躍。
ご主人は、アコーディオン奏者の桑山哲也さん。

11月28日~12月2日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、布施博さん

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11月28日(月)「 『 巨人の星 』 を夢見て 」
東京・足立区のご出身。漫画『巨人の星』の影響で、子供の頃から、読売ジャイアンツに入団するのが夢だったという布施博さん。何と!大リーグボール養成ギプスを自作してしまうほど真剣に野球に取り組んでいたそうです。
しかし、高校野球の強豪校に入学し、甲子園に手が届きそうになった時、先輩をポカリ!とやってしまい...。
月曜日は、甲子園を目指していた布施博少年が先輩を殴ってしまった"ある事情"を詳しく伺っていきます。

11月29日(火)「 金は無いけど楽しい空間 」
高校を退学後、「プロ野球選手になる」という目標を見失ったままアルバイトを転々としていた時にたまたま見た
劇団「ミスタースリムカンパニー」に自分の居場所を見つけた布施博さん。生活は苦しいけれど、劇団の稽古後に仲間と酒を飲むのが何よりの楽しみ...そんな日々を送っていたそうです。
火曜日は、布施博さんが「あの頃が一番楽しかったという」時代を振り返って頂きました。

11月30日(水)「 ふざけた新人 」
倉本聰先生脚本のテレビドラマ「昨日、悲別で」で主役デビューを飾った布施博さん。当時は、ロケ終了後に毎日のように酒を飲みに行き、次の日は二日酔いで撮影に臨むような舐めきった態度をとった「ふざけた新人」だったそうです。
水曜日は、布施博さんに「ふざけた新人時代」を思いっきり反省してもらっています。

12月1日(木)「 ノーガードな性格 」
自らを、面倒臭がりだと語る布施博さん。私、野村邦丸に言わせると「ノーガードな性格」。
そんな性格のためか、布施博さんは普段の生活でも面白エピソードが満載です。
酒に酔って自分の車を破壊した話、
中山秀征さんと競馬場に行ってスッテンテンになった話、
舘ひろしさんとヘリコプターでゴルフ場に降り立った話...
などなど、木曜日は、そんな面白エピソードのオンパレード!

12月2日(金)「 劇団 『 東京ロックンパラダイス 』 」
若かりし頃の布施博さんの楽しい居場所が「ミスタースリムカンパニー」だったとすれば、現在の居場所は、自らが主宰する劇団「東京ロックンパラダイス」ということになるでしょう。
もともとは一公演で解散するはずだったこの劇団ですが、今では30本以の公演を重ねるまでになりました。
最終日は、小人数のライブにこだわる劇団「東京ロックンパラダイス」について熱く語って頂いております。

<布施博>
1958年生まれ。東京都出身。1979年劇団ミスタースリムカンパニーに入団。『ジャッカル』で初舞台。82年『刑事ヨロシク』でTVデビュー。その後脚本家・倉本聡の作品『北の国から'87』などに起用される。また多くのトレンディ・ドラマにも出演した。87年『私をスキーに連れてって』で映画デビュー。94年劇団東京ロックンパラダイスを旗揚げ。吉祥寺バウスシアターで『OVER THE FENCE』を上演。現在も俳優として幅広く活動を続けている。

11月21日~11月25日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、新田恵利さん

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11月21日 月曜日 「子供時代から、おニャン子クラブ結成まで」
埼玉の上福岡(現ふじみ野市)のベッドタウンで生まれ育った新田さん。お金をためるのが好きな(不思議な?)子供だったとか。一生懸命バイトして貯めたお金で高2の時に北海道に旅行に行くなど、堅実だった新田さん、おニャン子クラブに入ったきっかけも、ずばり「日給5000円」に惹かれたからだそう。しかし当初は、他のおニャン子メンバーは洗練された都会の子ばかりで、ベッドタウン育ちの新田さんは着いていけず、同じ境遇の中島美春さんと一緒に、辞めることばかり考えていたそうです。ところが・・・

11月22日 火曜日 「おニャン子のブレイク、国生さゆりさんとの確執」
メンバーが喫煙事件で脱退となり、人数が減ってしまったおニャン子クラブ。
責任感の出てきた新田さんは辞められなくなり、直後に「セーラー服を脱がさないで」がリリースされ大ヒット。環境がすっかり変わってしまいました。
そして同じ主要メンバーの国生さゆりさんとの確執。バイト気分の自分とは違い、完全プロ志向の熱い国生さんとは全く接点がありません。不仲説も流れた2人は、今ではすっかり仲良しだそうですが、当時、メラメラとライバル意識を燃やしていた国生さんを、新田さんはどのように思っていたのでしょうか。詳しくお聞きしています。

11月24日 木曜日 「引退、復帰、そして結婚」
精神的にもすっかり疲れてしまった新田さんは、1990年に芸能界を引退します。
半年間は、旅行や飲み歩き、ライターへの修業など、今までできなかったことをして楽しんだ新田さんですが、やはり自分の引き出しを多く持ちたいと、芸能界に復帰します。
そして、ご主人との出会い。最初のデートで新田さんが彼のことを好印象だと思ったポイントは、「業界の人なのに、領収書をもらわなかったこと」。これ、深いですよ!

11月25日 金曜日 「『アイドルとつきあう方法』そして、四十路のおニャン子たち」
今年の7月に初の小説「アイドルとつきあう方法」を上梓した新田さん。本にも書いてありますが、アイドルと付き合うためのいくつかのポイントをお話しいただきました。また、昔のおニャン子と同じように、いま大活躍しているアイドルグループAKB48について、新田さんは非常にプロ意識が高い、と感心しています。
いまは四十路になったおニャン子メンバーたち。12月19日に、噂の国生さゆりさんと一緒に人生初のディナーショーも控えています。昔のおニャン子メンバーと一緒にいると、あっという間に10代のキラキラしたころに戻れるという新田さん、今後の抱負についても伺っています。

<新田恵利>
1968年、埼玉県生まれ。
★代表作品
セーラー服を脱がさないで (シングル)(1985)
冬のオペラグラス (シングル)(1986)
ちょうちん (映画)(1987)
ノン子36歳(家事手伝い) (映画)(2008)
~など多数。

11月14日~11月18日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、加賀まりこさん

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11月14日(月)「神楽坂のませた少女」
神田で生まれて神田で育った加賀まりこさん。小さい頃はよく本を読んだそうです。高校に入り「キャンティ」に行くようになるとお金が必要になり、モデルのバイトをしたんだそうです。少女時代のお話です。

11月15日(火)「女優デビュー」
高校の頃、寺山修司さんと篠田正浩監督に声をかけられ、映画に出ることになった加賀まりこさん。自分の言葉で話した加賀さんは"生意気"とかか れる事になります。イヤになった加賀さんは、20歳のときにリセットのためパリに行きます。デビュー当時のお話です。

11月16日(水)「パリから劇団四季へ」
パリで散々遊んだ加賀まりこさん。帰ってきた時、1千万が500円になっていたそうです。日本で劇団四季に入った加賀さんが女優に目覚めたのはこのときだったそうです。

11月17日(木)「加賀まり子流 恋の話」
最近ご出演になられた「神様のカルテ」はいつまでも現場にいたかったそうです。そして加賀さんらしいカッコいい恋の話も伺っています。

11月18日(金)「これからの加賀さん」
肉が大好きな加賀さん。朝は野菜ジュースを飲んでおしまいなんだそうです。そして12月9日から始まる舞台「8人の女たち」のお話を伺っています。

<加賀まりこ>
1943年、東京都生まれ。高校在学中にスカウトされ、62年「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビュー。映画「月曜日のユカ」「乾いた花」などで大ブレーク。しかし、20歳の時すべての芸能活動をストップして単身パリに渡る。帰国後、劇団四季の舞台「オンディーヌ」に出演したのを機に女優を続けることを決意し、テレビ、舞台へと活躍の場を広げる。映画では「陽炎座」「麻雀放浪記」など数多くの話題作に出演。81年に出演した「泥の河」ではキネマ旬報助演女優賞受賞。2007年には舞台「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」に出演している。

11月7日~11月11日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、犬塚弘さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム 」のゲストは、犬塚弘さん!

11月8日 火曜日 【バンドマンとしてのスタート】

大学を卒業した犬塚弘さん。
家にお金を入れる為に始めた肉体労働も合わず、お兄様の薦めもあり、
弾けないベースシストとしてバンドに所属する事になります。
そこで出会った人に弟子入りし、弾けるようになった頃、
犬塚弘さんは方々から引っ張りだこのベーシストになっていました。
この頃に「ハナ肇」さんと出会い、
クレイジーキャッツ結成へと向かっていきます。
今日は、バンドマンとしてのスタートから、
クレイジーキャッツを結成するまでのお話をお聞きしました。

11月9日 水曜日 【クレイジーキャッツ結成と仲良しの谷啓。】

メンバーチェンジを繰り返していたクレイジーキャッツでしたが、
植木等さんや谷啓さんが加入し、みなさんがご存知の面々が揃います。
中でも、犬塚弘さんが一番、仲が良かったというのが、
「谷啓」さんだったそうです。
今日は、谷啓さんと一緒に遊んだエピソード中心に
メンバーにまつわるお話をお聞きしています。

11月10日 木曜日 【クレイジーキャッツ全盛期】

1959年にクレイジーキャッツの初レギュラー番組
「おとなの漫画」がスタートします。
しかし、この番組はクレイジーキャッツの面々はふざけてばかり。
しばしば、番組スタッフからお叱りを受けたんだそうです。
特にひどいときは、廊下に立たされる罰も与えられたそうです。
今日は、クレイジーキャッツがテレビの世界で、
大活躍していた頃のお話をお聞きしました。

11月11日 金曜日 【犬塚弘と演技の世界。】

クレイジーキャッツのメンバーとして活躍した後、
犬塚弘さんは演技の世界へと進まれます。
自分にはこの世界しかないと考えた犬塚さんは厳しい個人レッスンにも耐え、
演技とは何なのかという境地に辿り着いたんだそうです。
今日は、ずっと現役で続けたいという舞台の魅力についてお話いただきました。

<犬塚弘>
「ハナ肇とクレージーキャッツ」メンバー。
★主な代表作
【映画】 ポストマン 北辰斜にさすところ 春よこい 転校生、さよならあなた 男はつらいよシリーズ
【テレビ】 恋する京都 こころ おやじは熟年
【舞台】 ウエストサイドストーリー 夢の泊 越前竹人形
【著書】 飄飄として訥訥

10月31日~11月4日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、石橋凌さん

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10月31日(月)「 夢は映画評論家 」
5人兄弟の末っ子としてお生まれになり、お母様から「お前は(末っ子だから)好きなことをやりなさい」と言われて育ったという石橋凌さん。小学生の頃からギターを片手に歌を口ずさみ、将来は映画評論家になることを夢見る...そんな少年だったそうです。
月曜日は、石橋凌さんの少年時代のエピソードを伺うとともに、NHKの結髪さん(かつらなどを担当するスタッフ)に「珍しいかたちをしているね~」と言われたという"石橋さんの頭部"の謎に迫ってみました。

11月1日(火)「 お世話になったイタリアンレストラン 」
お兄様の影響で音楽を始め、高校生の頃から福岡の名門ライブハウス「昭和」に出演していたという石橋凌さん。高校卒業後は音楽活動をしながら、数々のアルバイトで生計をたてる、そんな毎日。
そんな時、アルバイト先のイタリアンレストランのマスターに石橋凌さんが言われた一言が、「うちの支店を任せたいんだが...」。この言葉に石橋凌さんの心は大きく傾いたそうです。
火曜日は、もしかしたら石橋凌さんは今頃、イタリアンのシェフとして腕を振るっていたかも...というお話。

11月2日(水)「 ARB結成。そして、ピンク映画で俳優デビュー 」
上京してロックバンド「ARB」を結成。レコード会社も決まって順風満帆と思われた石橋凌さんの音楽人生でしたが、スタッフとの方向性の違いで、ARBはアルバム一枚を出しただけで事務所を解雇されてしまいます。
仕事が無いためにカップラーメンで飢えを凌ぐという極貧の生活を続けていた石橋凌さんでしたが、宇崎竜童さんから「映画に出てみないか?」というオファーがあり...。
水曜日は、音楽活動に行き詰っていた石橋凌さんが始めてピンク映画に出演した時の爆笑エピソードなどを伺っています。

11月3日(木)「 石橋凌、松田優作を語る 」
武道館コンサートを成功させても、「俺たちの歌は茶の間まで届いていない」ということに物足りなさを感じ、思い悩んでいたという石橋凌さん。そんな石橋凌さんに的確なアドバイスをしてくれたのが松田優作さんでした。
そして、その後、映画「ア・ホーマンス」で共演するなど、松田優作さんから多くのことを学び、多くのことをその体に叩き込まれたそうです。
木曜日は、石橋凌さんだから語れる松田優作さんの思い出をたっぷり10分間。

11月4日(金)「 映画 『 ハラがコレなんで 』 」
最終日は、石橋凌さんもご出演なされている映画「ハラがコレなんで」の見どころなどを伺っています。この映画には福島で撮影されたシーンも登場します。実は、大震災前に既に撮影を終えていたとのことなのですが、だからこそこの映画を見ていただきたいという石橋凌さんの想いもあるようです。
また、奥様である原田美枝子さんの"ちょっとホラーなエピソード"も披露して下さっています。

<石橋凌>
1956年、福岡県出身。ロックバンド A.R.B のボーカリストとして熱狂的に支持される中、82年に宇崎竜童監督作『さらば相棒』で映画デビュー。その後松田優作と出会い、松田優作の監督・主演作『ア・ホーマンス』(86)に出演し注目を浴びる。その後、『ヤクザVSマフィア』(94)でヴィゴ・モーテンセンと共演、ショーン・ペン監督、ジャック・ニコルソン主演の『クロッシング・ガード』(96)でハリウッド進出し、アメリカの俳優ユニオン「スクリーン・アクターズ・ギルド」の会員証を取得。

10月24日~10月28日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、ガダルカナル・タカさん

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10月24日(月) 「温泉街で育った面白いやつ」
 ガダルカナル・タカさんは、高知の旅芸人の家に生まれました。野球が大好きな子供でしたが、数え切れないほど転校をする間に子供ながらの処世術を身につけます。そして、小学校5年生の頃から、天城の温泉街で暮らすようになります。高校に入り、1学期で退学してしまうのですが、その頃とりあえず取得した調理師免許が大人になって意外なところで役に立つのでした

10月25日(火) 「上京してお笑い芸人に」
 高校中退後、いろいろ仕事をしてみたガダルカナル・タカさんですが、どうも自分には合いません。そんななか、東京で芸能事務所を立ち上げるので来ないかと言う誘いを受けました。事務か何かかなと思って上京したタカさんを事務所の社長は芸人にしようとします。そこで相棒、後のつまみ枝豆さんを地元から呼んでカージナルスというコンビを作りました。
 しかし漫才ブームが来ると本物の芸が出来る人たちに押されてしまい、仕事が激減します。事務所は台湾公演で一発逆転を狙いますが、それはドリフターズの偽物としてステージに立つというちょっと危ない仕事でした。

10月26日(水) 「油断ならない日々」
 ドリフの偽物による台湾公演は好評を博しますが、意外な結末を迎え事務所は倒産、ガダルカナル・タカさんはカラオケスナックを始めます。そこにお客として来ていたそのまんま東さんの紹介で、ビートたけしさんの野球チームに入り、半年後には事務所にも所属し、たけし軍団入りをしました。
 この頃、軍団の面々は一日中たけしさんと一緒に行動していました。楽しくもあり、ちょっと辛くもあり、いたずら好きのメンバーと一緒のとんでもない毎日の話が続きます。

10月27日(木) 「フライデー事件」
 たけし軍団の一人として楽しく仕事をしていたある日、抗議のためフライデー編集部に乗り込んでいくことになりました。このとき守衛さんが普通に通してくれたのが未だに謎なのだとタカさんは言います。
 すぐに大塚署から警官が来て逮捕されますが、たけし軍団の勢いは止まらず、取調べ中もいたずらをしていたのだそうです。刑事ドラマのようにしたくて無理やり頼んでカツ丼まで食べさせてもらうたけし軍団の面々でした。

10月28日(金)  「奥様・橋本志穂さんとタカさん」
 奥様、橋本志穂さんとの出会いは福岡の仕事でした。その後、たけしさんの一言で結婚を意識するようになったタカさんは、気が付いたらたけし軍団のハワイ旅行、それもバラエティ番組の企画として結婚式を挙げることになります。
 タカさんは奥様をとても大事にしているのだそうです。それは、自分がやっていることを考えたら、一緒に居てくれるのはこの人しかいないからだそうです。
 これから何年経っても、馬鹿なことをやり続けたいとタカさんは言います。10人中3人が笑ってくれれば満足なのだそうです。

<ガダルカナル・タカ>
1956年静岡県生まれ。
映画 :犬と歩けば 福耳 座頭市
テレビ :たけしのコマネチ大学数学科 世界まる見え!テレビ特捜部 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 

10月17日~10月21日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、髙嶋政宏さん

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10月17日 月曜日 「芸能一家・髙嶋家」
俳優の髙嶋忠夫さん、女優の寿美花代さんを両親に持つ芸能一家に生まれた政宏さん。
実は、子供のころはとても太っていたとか(小学生で110kgありました!)
忙しい両親が子供に注ぐ愛情は「食」。お父さんに連れられて高カロリーの美食を続けるうちにまるまると太ってしまいました。お母さんの手料理もエピソード満載です!

10月18日 火曜日 「ダイエット、そして役者になったきっかけ」
高校生まではおでぶっ子倶楽部だった政宏さん。
「女の子にもてたい!」という一心でハードなダイエットを始めました。
そのかいあって23kg減。不純な動機ほど成功するそうです。
そして、お父さんと同じ、役者の道に進むことになります。

10月19日 水曜日 「役者という仕事に没頭する日々」
デビュー作の映画「トットチャンネル」で数々の新人賞を総ナメにした政宏さん。
親の14光・・と呼ばれさぞや悔しい思いをしたのでは、という問いに
当時はとにかく次から次へと仕事が決まって忙しく無我夢中で、
そんなことを考える暇もなかったそうです。
99年の映画「残侠」では、それまでと違う男らしい役を演じて話題に。

10月20日 木曜日 「父の病気、そして妻シルビアさんとの出会い」
98年にお父さん・髙嶋忠夫さんがかかった「うつ病」。髙嶋家の闘いが始まります。
ピアノを弾き、歌を歌えるまで回復した忠夫さん。政宏さんたち家族のサポートが
ありました。
そして、政宏さんが溺愛する妻・シルビアさんとの出会い。
舞台「エリザベート」で初めて出会った時の印象はあまりよくなかったそうですが
今は奥さんを溺愛しているそうです。

10月21日 金曜日 「趣味のこだわり、そして役者としての今後」
ロック通、鹿児島通など、さまざまな分野に造詣の深い政宏さん。中でも「駅弁」に
ついては並々ならぬこだわりが。
現在公開中の映画「はやぶさ」そして近日公開の「スマグラー」では
全く違ったキャラクターの政宏さんをご覧いただけます。

<髙嶋政宏>
1965年、東京都生まれ
1987年 映画「トットチャンネル」でデビュー。
以後、映画・テレビ・舞台と幅広く活躍。主な出演作品に、映画「ヤマトタケル」「新・極道の妻たち」「間宮兄弟」。テレビ「山岳救助隊シリーズ」(TX)、「新・桃太郎侍」(ANB)、「利家とまつ」(NHK)。舞台「王様と私」、「エリザベート」、「黒蜥蜴」など。

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