★10時台は佐藤竹善さん!
4月15日(月)「佐藤竹善さんの音楽への目覚め」
いわゆるガキ大将系の少年だったという佐藤竹善さん。
そんな少年が音楽に目覚めたキッカケは、ビートルズの曲を聴いてからなんだそうです。その後は、クイーンにハマり、ジョンディーコンに憧れ、ベースを始めます。
当時、柔道で国体の強化選手の候補にも選ばれる程、ツワモノだった佐藤竹善さんが、音楽の道へ進む事になった理由をお聴きしました。
4月16日(火)「プロ歌手になるまでの縁。」
数々のアーティストに衝撃を覚え、「プロになる!」と決意し、青森から東京に上京し、ガムシャラに突き進みます。しかし、まったくの手探りの状態でスタートだった為、余儀無くされた貧乏生活をはじめ、TOTOを目指して曲作りしていたのに、まったく見当違いな物が出来たなど、当時の思い出をお話いただきました。今日はシングライクトーキングの下積み時代のお話です。
4月17日(水)「シングライクトーキング、デビュー」
レコード会社と契約した佐藤竹善さん。
しかし、業界の素人なんだから勉強しなさいという事で楽曲提供といった作業を続けていた日々。
そんな中、佐藤竹善さんにチャンスがめぐってきます。それは当時、みんなが知っていたある「CM」の歌だったそうです。
またデビューアルバムを製作した時に、あれは若気の至りと反省するある出来事とは一体...。
今日は、シングライクトーキングのデビューにまつわる話をお聴きしました。
4月18日(木)「シングライクトーキングとソロ活動。」
憧れのジェフ・ポーカロさんとライブで競演した時、会場には自分たちのファンがまったくおらず、自分たちのライブなのに、アウェー状態だったという事態を受けて、これまでのバンド活動に対する考え方を見直したそうです。
デビュー7年目を迎えた頃、アルバム「エンカウンター」で、初めて1位を獲得しますが、当時、売れても20位のあたりをうろうろしていた為、自他共に「何故?」と首をひねってしまったそうです。
また、ソロ活動をスタートさせた佐藤竹善さんの心境などもお聴きしました。
4月19日(金)「ラジオ大好き竹善さん」
「ラジオがなきゃ眠れない...。」そんな佐藤竹善さんは、特にトーク番組は好きだと教えてくれました。そんな佐藤竹善さん、当番組のコントコーナー「お気楽野村係長」ファンで、すでにご出演まで済まされています。
ラジオが大好きな佐藤竹善さんのシングライクトーキングが、25周年アニバーサリーライブが4月末に行われるということで、そちらの情報もお聴きしています。
<佐藤竹善>
'88年、SING LIKE TALKINGのメンバーとしてデビュー。現在までに11枚のオリジナル・アルバムを発表し、そのノン・ジャンル、ノン・カテゴリーの高品質な音楽は5枚目のアルバム「HUMANITY」以降すべてのアルバムをオリコンのTOP20に送りこみつづけ高い評価を得ている。そうしたバンドとしての活動と平行して、'95年に発表したアルバム「CORNERSTONES」から本格的にソロ活動開始。その卓越したボーカルとコンポーサーとしての才能は他を圧倒するものがある。
★12時台は「西田ひかる」さん
4月15日 月曜日 「子供の頃の話」
西田ひかるさんは藤沢市で生まれました。すぐにお父さんの仕事の関係でロサンゼルスに越しましたが、12歳ぐらいまでは男の子と間違えられるような、日焼けした、アフロヘアーの女の子でした。西田さんはこの頃、スティーヴィー・ワンダーの「愛の園」という曲に子供コーラスとして参加しています。
4月16日 火曜日 「芸能界デビュー」
日本に帰国した西田さんは、タレントを探していた事務所の社長にスカウトされ、オーディションを受けまくりますが、うまくいきません。でも、日本エアシステムのキャンペーンガールに起用されると、ファミリーミュージカル「小公女セディ」の主演、シングル発売と、どんどん道が開けていきます。高校、大学と学校を休むこと無く芸能活動と両立させた西田さん、「学校が好き、学校が私を安定させてくれた」けれども、睡眠不足でいつも眠かったのだそうです。眠い毎日のエピソードを西田さんは話しくれました。
4月17日 水曜日 「忙しいアイドル生活」
ドラマ「デパート! 夏物語」の主題歌、「ときめいて」が大ヒットした西田さんはその年の紅白歌合戦にも出場しました。アメリカ暮らしの長かったひかるさんですが、毎年、年末年始は日本に帰ってきて紅白を見ていたので、やっぱり紅白の舞台は緊張したのだそうです。
「山田ババアに花束を」で役者としていくつもの賞を受賞、ミュージカル「楽園伝説」にも主演した西田さんは忙しい日々を送っていましたが、そんな西田さんの楽しみは、なんと喫茶店でのひとときでした。
4月18日 木曜日 「カリフォルニアでの生活」
ボランティア活動に熱心な西田さんは、長野オリンピックのピースアピール・アンバサダーに選ばれます。この時、西田さんはオリンピックに自分が参加できたことが嬉しかったのだそうです。
その後、結婚をした西田さんは旦那さんの仕事の都合もあってカリフォルニアに移り住みます。親から離れてはじめての生活、自分で自分のスケジュールを組めると気がついた西田さんは、のびのびと暮らし、刺繍などいろいろな趣味をはじめました。
そんな西田ひかるさんは、子育ても楽しんでいます。でも、もしも神様が居るのなら、一つだけ子育てについてのアドバイスが欲しいのだそうです。これには(孫が2人居る邦丸さんも)思わず納得!
4月19日 金曜日 「これからやりたいこと」
数年前に西田さんは野菜ソムリエの資格を取りました。いろいろな野菜が一年中溢れている中、旬の野菜が一番安くて一番栄養がある、この感覚を大切にしたいのだそうです。
西田さんは11年ぶりに新曲、そしてマキシシングルをリリースします。一度はお願いしてみたかった人たちに25周年を記念する曲作りをお願いしたのだそうです。
これからのことについて、西田さんは、まずは元気でいること、そして、30周年に向けて続けられることと話してくれました。もうひとつ、子育てが一段落したら、西田さんは舞台をやりたいのだそうです。まだまだやりたいことが多い西田ひかるさんです。
<西田ひかる>
'73年~'85年、アメリカ・ロサンゼルスで暮らす。'88年「フィフティーン」(でレコードデビュー。同時にミュージカル「小公子セディ」に主演。同テレビアニメのテーマソングを歌うなど恵まれた芸能界スタートを果たす。以来、持ち前の健康的な明るさと、何事にも前向きに努力する姿勢が評価され、歌手活動と合わせて、多くのテレビドラマ・ミュージカル・舞台などに出演し、その演技力は活動分野の広さと共に高い評価を得ている。アメリカ時代に体験したボランティア活動にも熱心で、年2回行っていたチャリティーバザー他、'98年2月に行われた長野冬季オリンピックでは、ピースアピールの長野オリンピックアンバサダーにも選ばれている。2002年5月に結婚。