7月25日(月) 「『小樽の人よ』でデビュー」
鶴岡雅義と東京ロマンチカのリーダー、鶴岡雅義さん。
デビュー曲「小樽の人よ」がいきなりヒットしましたが、鶴岡さんは、曲を出してレコード会社の所属になれればいい、と考えていたそうです。
もともと東京ロマンチカのメンバーのエピソードを基にした曲ですが、舞台は小樽ではなく、釧路でした。
行ったこともなかったという小樽には、その後何度も足を運び、観光大使にまでなりました。
デビュー曲『小樽の人よ』に関するお話です。
7月26日(火) 「レキントギターと二匹目のどじょう」
もともとクラシックギターを演奏していた鶴岡雅義さん。
このままではクラシックギター奏者で終わってしまう、歌謡界に入りたいと思っていた頃、トリオ・ロス・パンチョスのレキントギターを見て、「これだ」と思ったそうです。
そして、曲は「小樽の人よ」のヒットを受け、二匹目のどじょうを狙って作られた「旅路の人よ」はレコード大賞の歌唱賞を獲得。
しかし、さすがに三匹目はいなかったと鶴岡さんは笑って振り返ります。
7月27日(水) 「古賀メロディと『君は心の妻だから』」
1969年のヒット曲「君は心の妻だから」。
リリースした時は、「古賀メロディのマネ」「古すぎる」と酷評されたそうです。
しかし、鶴岡雅義さんは曲作りの段階で「古賀メロディ風にしよう」と考えていました。
曲が売れ始めた頃、古賀政夫さんにこの曲のことを報告すると、古賀さんの返事は「古賀メロディではない、鶴岡メロディだ」でした。
鶴岡さんは、その言葉の意味を深く考えていましたそうです。
7月28日(木) 「『夜のヒットスタジオ』でのコント」
人気番組「夜のヒットスタジオ」に出演していた鶴岡雅義さん。
ヒゲの芸者などでコントに挑戦すると、まごつく表情に注目が集まり、「アップに堪えられる顔」という肩書きまで生まれました。
やりたくなかったコントですが、コンサートに行けばその話題で大盛り上がりだったそうです。
おかけする曲は「北国の町」。
実は、「やっつけ仕事」でできた曲でした。
お話は、「夜のヒットスタジオ」でのコントについてです。
7月29日(金) 「東京ロマンチカのこれから」
82歳でも身体の悪いところがないという鶴岡雅義さん。
曲作りは、フレーズが浮かべば完成したようなものだとおっしゃいます。
それでも、レキントギターを演奏する指は動かなくなってきているそうです。
曲は2003年にリリースした「花かげのひと」。
今後の目標はとにかく、東京ロマンチカを続けていくこと。
そして、ギターを弾く機会を持ち続けることです。
東京ロマンチカのこれからのお話です。
<プロフィール>
古賀政男より作曲について学び、阿部保夫よりギターを学ぶ。昭和35年にラテングループ『トリオ・ロス・カバジェロス』を結成。昭和40年作曲家としてのデビュー曲「二人の世界」を発表。石原裕次郎が歌唱し大ヒット。昭和41年『鶴岡雅義と東京ロマンチカ』を結成。昭和42年からグループを基盤に「小樽のひとよ」「旅路のひとよ」「君は心の妻だから」を発表しいずれも大ヒットする。テレビでは「アップにも耐える顔」としてコントなどでも活躍。現在グループの活動と作曲家として活躍。