6月13日(月)「笑点 新メンバーへ」
笑点の新メンバーになった林家三平さん、絶対に漏らさないで欲しいといわれ、決まったことを家族にも言えなかったのは辛かったそうです。寝言まで確認を取っていたと話す三平さんです。
発表当日も漏れないように日本テレビの会議室でじっと待ち、他のメンバーの方に逆に挨拶に来ていただいたと話す三平さん、佐智子夫人にはなんとNHKに行くといって出かけたのだそうです。
6月14日(火)「初代林家三平の思い出」
林家三平さんは、海老名家の次男、4人目の子供です。お兄さんと比較されることは?と伺ったところ、歳が離れているから、一人っ子みたいな育ち方をしたと話してくれました。
お父さんが"林家三平"だと意識したのはなんと幼稚園の時、でも、だれかに手を振ってもらうとお父さんは「加山雄三です」と挨拶していたそうです。そのうちにクリストイートウッドですと言い出し、さすがにそれは無理と突っ込まれていたと、有名人であることを楽しんでいた雰囲気があった思い出を語る、二代目三平さんです。
有名人の二世はそれを受け入れる人と受け入れられない人が居ますが、二代目三平さんは受け入れていたのだそうです。それは、有名人が家に遊びに来てくれるから。子供心をもったお父さんとの思い出を二代目三平さんはいろいろと話してくれました。
6月15日(水)「正蔵、そして三平という名前について」
林家三平さんのお兄さんは正蔵師匠。三平の名前を継いでいません。三平さんにこのことを聞いてみたところ、正蔵というのは海老名家が一度外に貸し出してしまった祖父の名前、それが戻ってきたのだから、それを兄が継ぐのは当然でしたと話してくれました。
三平さんはもともと落語家になるつもりが無かったのに、バルセロナの食堂で外国の人に日本の文化自慢ができなかったことで落語家になろうと決心します。三平の名前を継ぐ事になったときはちょっと躊躇した三平さんですが、同じ落語家の元義理の兄のアドバイスで名前を継ぐ決心をしたのでした。
6月16日(木)「三平さんの落語修行」
大きな名前を継ぐにあたり、三平さんにはいろいろな風当たりがあったそうです。でも、それ以上に自分を思ってくださるサイレントマジョリティがあり、寄席にも足を運んでくれる、だからこの人たちを大切にしたいと三平さんは話します。
その三平さんに落語への向き合い方を作ってくれたのは小朝師匠でした。月に2回のネタ卸しを5年間やった。つらかったけれど・・・・と当時を思い出す三平さんでした。
三平さんはもうひとつ、先代の円楽師匠の思い出も話してくれました。三平さんの子供時代、海老名家が四面楚歌となっていた中での良い話です。
6月17日(金)「三平さんのこれから」
先代の林家三平さんとテレビ番組の笑点には、少なからぬ繋がりがありました。「笑点」という番組名が決まったのは今収録している場所、ねぎし三平堂なのだそうです。
出演が決まった三平さんにはレギュラー陣からいろいろとアドバイスをもらいましたが、それについても三平さんは話してくれました。
三平さんに夢を伺ったところ、落語を世界に向けて発信する活動を発展させたいと話してくれました。通じにくい部分もあるけれど、世界中で喜ばれる話もある。それは"ケチの話"と話してくれた林家三平さんです。
<林家三平さんプロフィール>
昭和45年12月11日生まれ。
初代林家三平の次男で、林家正蔵の弟。
中央大学時代に林家こん平に入門。
平成14年林家いっ平の名で落語協会真打昇進。
21年2代林家三平を襲名した。
英語・中国語落語にも挑む。
6月13日(月)「22歳」
谷村新司さんの生まれは河内長野、和の雰囲気に包まれた家でした。その頃の影響が曲や歌詞にも出ていると話す谷村さんは、小さい頃の祇園の舞妓さんとのエピソードも話してくれました。
そんな谷村さんは大のラジオ好き。新しい情報はラジオで発信していたのだそうです。ソロになりテレビに出演する際にも2曲作ってどちらが良いかをラジオリスナーに投票で決めてもらっています。このときできた曲が「22歳」、今日お掛けする曲になります。
6月14日(火)「冬の稲妻」
谷村新司さんはアリスを結成し活動を始めますが、なかなか売れません。ブレイクすればさかのぼって聴いてくれるだろうと当初谷村さんは思っていたそうですが、さすがにだんだん不安になったそうです。「冬の稲妻」が大ヒットしたのは、そろそろまずいな・・・と、思った頃の出来事でした。
アリスの所属事務所がジェームズブラウンの招聘で失敗して大借金を抱えてしまいました。アリスはこの借金を返すためにたくさんのコンサートをしているという話があり、それは井筒監督の映画の小ネタにまで使われています。この頃のエピソードをお聴きください。
6月15日(水)「昴」
「昴」は中国では中国の歌だと思われています。上海万博でアジア大陸代表として日本語で谷村さんが歌ったときに元は日本の歌と知り、中国の人たちはとても驚いていたのでした。政治や経済はどうしても対立してしまうことがあるけれど、文化はそうではない。だから文化交流を大事にしたいと話す谷村新司さんです。
もうひとつ、「昴」がいろいろな処で歌われている理由を谷村さんは最後にボソッと話してくれました。それは・・・。
6月16日(木)「いい日旅立ち」
いい日旅立ちは谷村新司さんが山口百恵さんに書いた曲ですが、百恵さん引退後に谷村さんが歌うようになります。バトンタッチされたからと話す谷村さんは、この曲の歌詞について永六輔さんから指摘されたエピソードを話してくれました。
海外で在住の方にとって、この歌の詩は更に重みがあるのだそうです。それは、日本に住んでいる私たちには思いもよらない話でした。
6月17日(金) 「アルシラの星」
谷村新司さんの新曲は「アルシラの星」スバルの次に空に上がってくるシリウスの古代アラビア名がタイトルの由来になった曲です。昴の次に天にのぼるのがアルシアの星。財の星スバルに支えられた文明から、その次の心を大切にする時代へ、だんだん変わっていくと谷村さんは話します。この曲は女性3人のユニット、カラフィナとのデュエット曲で、星と地上の女の子の対話が歌になっているのだそうです。
そんな谷村さんが今楽しんでいるのは料理、辛子醤油で食べるとおいしいサラダを最後に紹介してくれました。
<谷村新司さんプロフィール>
1948年12月11日、大阪府生まれ。
72年、堀内孝雄らと結成したフォークグループ「アリス」でデビューし、「冬の稲妻」「帰らざる日々」「チャンピオン」などのヒット曲を連発する。
82年のアリス活動停止以降は、並行して行っていたソロ活動やアーティストへの楽曲提供を本格化させ、「昴 -すばる-」「いい日旅立ち」「サライ(加山雄三との共作)」などのスタンダードナンバーを多数発表し、海外での公演も精力的に実施。
2004年からは上海音楽学院の教授を務め、後進の育成にも力を入れている。
13年、毎日芸術賞と芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。
15年には紫綬褒章を受章した。