6月6日(月) 「照れ屋だった少女時代」
子どもの頃は照れ屋で、大人を前では緊張して声が出せなかったというアグネス・チャンさん。転機になったのは、中学生の時に始めたボランティア活動。子どもたちと接する時は、不思議と自分を素直に出せたそうです。チャリティでフォークソングを弾き語りしているうちにアマチュアの間で噂になり、やがて香港のテレビ局にスカウトされます。
初日の月曜日はバフィー・セントメリーの名曲「サークルゲーム」のカバーとともに、お楽しみください。
6月7日(火) 「『ひなげしの花』で大ヒット」
日本で歌手デビューを果たした頃のお話。来日のキッカケは、香港での冠番組「アグネス・チャン・ショー」に出演した作曲家・平尾昌晃さんとの出会いだったそうです。その後、周囲の反対を押し切って海を渡った末に、デビュー曲「ひなげしの花」がいきなり大ヒット、人気に火がつきます。その一方、言葉の壁に苦労し、ハンカチを濡らすこともあったそうです。「丘の上 ひなげしの花で〜♪」というフレーズの裏話もあります。
6月8日(水) 「絶頂期の芸能界引退」
1976年、人気絶頂の中、芸能界を引退した頃を振り返ります。
当時はまだ学生だったアグネス・チャンさん。行く末を心配したお父さまに説得されてカナダ留学を決意。トロント大学へ編入されます。日本や香港と違って、誰も自分を知らない場所での生活は自由で楽しかったそうです。
再び訪日を果たしますが、世間から求められるイメージとのズレに困惑。そんなとき、中国にあるお母様の故郷に赴かれます。そこで出会った特別な歌のおかげで、今日までやってこられたそうです。その歌にはどんなエピソードがあったのでしょうか?胸中を語ってくれました。
6月9日(木) 「ボランティア活動への思い」
1998年からユニセフでの活動を行なっているアグネス・チャンさん。
キッカケはご長男が生まれたとき。赤ちゃんを連れて行けるボランティアのイベントにお忍びで参加し、それに気づいたユニセフの関係者に声をかけられたことが始まりでした。今年の3月から「ユニセフ・アジア親善大使」に任命され、ますます活動の場を広げることになりました。
4日目の木曜日は、子どもたちの支援にかける思いをお話しいただきました。
6月10日(金) 「論争を巻き起こした教育方法」
3人の息子さんを持つアグネス・チャンさん。出産した当時は仕事場に赤ちゃんを連れて行ったことが「子育て論争」に発展し、世間を賑わせました。
その後は3人ともアメリカ・スタンフォード大学に進学。アグネスさん曰く、カナダ留学で修得した児童心理学を応用したことが功を奏したそうです。
そして最終日の金曜日は、昨年発売した最新曲「プロポーズ」もおかけします。
現在のアグネス・チャンさんの歌声をお楽しみください。
<プロフィール>
1972年、『ひなげしの花』で日本デビュー。一躍アグネス・ブームを起こす。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学)を卒業。1984年、国際青年記念平和論文で特別賞を受賞。1989年、米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。1994年、教育博士号取得。1998年、日本ユニセフ協会大使に就任。2002年、初の短編小説集『パーフェクト・カップル』を発売。2006年、全米歌手デビュー。