終わりよければ・・・(放送終了)

5月23日~5月27日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは近藤サトさん

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5月23日(月) 「子供時代の近藤サト」
岐阜県土岐市で育ち、山出しの田舎者だとおっしゃる近藤サトさんは山でよく遊んだそうです。
陣地ごっこや化石掘り、また蜂の子やイナゴも獲って食べるなどとても活発な女の子だったそう。
そんな彼女が芸能界を初めて意識したのはテレビで見た「たのきんトリオ」。この時、何となくテレビの向こう側の世界に憧れたそうです。

5月24日(火) 「アナウンサーの道へ」
父親から「東京で一旗揚げなさい」と言われて育った近藤サトさんは岐阜県から上京し、日本大学芸術学部放送学科に進学します。テレビの世界に憧れていた大学時代は朗読サークルに入りました。
時代はバブル景気の真っ最中。授業もそこそこにマスコミのアルバイトに精を出したそうです。
何と文化放送で中継レポーターのアルバイトも。そして就職先も東京志望で、華のフジテレビに入社します。

5月25日(水) 「局アナ時代の近藤サト」
フジテレビに入社し、派手な世界だったが意外と地味な生活を送っていたという近藤サトさんはアナウンサーとしていろんな仕事を経験します。1年目から報道番組に起用される一方、有名タレントとのバラエティー番組の司会や、今では考えられない水着を着ての仕事。紛争地帯にも行ったそうです。ある時、上司から言われた「朗読が好きなら企画書を書いてみない?」という言葉がきっかけで自身が企画書を書いたのが、フジテレビアナウンサーによる朗読劇『ラヴシーン』でした。

5月26日(木) 「フリーアナウンサーの仕事」
1998年に入社後、8年でフジテレビを退社した近藤サトさん。30才を手前に何となく仕事が減ってきて自分がどれくらい必要とされているのだろうと考え、外の世界も見たいとフリーアナウンサーの道へ。
ナレーター専門の事務所に所属します。当初ナレーション入れの仕事に「私が頑張らなきゃ」という気負いがあったが、ある時番組スタッフから「テレビ番組はナレーション入れの前にはもう視聴率が決まっている」と言われ、肩の荷が下りたというエピソードも。ナレーションの仕事はとにかく楽しいそうです。

5月27日(金) 「プライベート」
ナレーター、大学特任教授でもある近藤サトさんのプライベートについて伺います。小学6年生の息子さんは母親近藤サトさんのことを「ウザイウザイ」とよく言うわりに、「今日仕事休みになったから家にいるよ!」という言葉に思わず「やったー!」。でもすぐあとに「しまった!」という顔をするのがかわいいそう。また朝の仕事が終わると歩いてランチ店を探すのが目下の楽しみで、夜は「お酒は弱いけど、同席者は目いっぱい楽しませますよ~」とのこと。

<プロフィール>
1991年、フジテレビにアナウンサーとして入社し、報道番組を中心にバラエティなど幅広い分野で活躍をする。
現在はフリーアナウンサーやナレーターとしての仕事をする傍ら、2011年から日本大学芸術学部放送学科特任教授(非常勤)としてアナウンス実習、朗読、卒業研究指導を担当し、後任の育成をすべく母校で教鞭をふるう。