終わりよければ・・・(放送終了)

4月18日~4月22日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは立川志の輔さん

tatekawa_kunimaru.jpg

4月18日(月) 志の輔さんの子供のころ
近所の商店街のお店の手伝いをしていたという志の輔少年。精肉店の内側に入り、お客さんの注文をきき、商品を渡す。次の日は青果店で天井から下がっているザルからおつりをとって渡すということを繰り返していました。今思えば、自分の存在感の確認をしていたようであったと振り返っています。子供のころの落語に対するイメージもお話いただきました。

4月19日(火) 29歳で弟子入り
大学卒業後、落語が好きではあったけれども、落語家になる勇気がなく、4年間、広告代理店で社会人を経験したあと、29歳の時に立川談志に弟子入り。29歳という年齢からか師匠の後ろについて行くと、いろんな先輩から『馬鹿じゃないの?』と心配されたそうです。2つ目に昇進した時に師匠から送ってもらった言葉が忘れられない。『手っ取り早く仕上げた』。そんなに急がなくてもと感じていたそうです。

4月20日(水) 煙草とお酒
タバコをやめて7年。ヘビースモーカーだった志の輔さん。そのころ、文化放送の旧社屋のスタジオでは煙草がすえました。当時のアシスタントだった水谷加奈アナウンサーには申し訳ないことをしたと謝罪します。邦丸さんとの煙草トークをお楽しみください。
そして、お酒についてもお話いただきました。毎日欠かさないそうです。

4月21日(木) 富山県人
富山出身の志の輔さん。富山県人の笑いに関する感覚についてのお話です。頭の中でまず富山弁で物事を考え、それを標準語に変換してから話すということを今も繰り返しているそうです。時々、テレビやラジオでも富山弁の一部が出る時があるそうです。そのときの焦りについて振り返っていただいています。落語のオチも変えることもあるそうです。

4月22日(金) 油断ができない師匠 
落語はお客様が頭の中でいろいろと考えていただくものだと志の輔さん。志の輔落語は演劇なのか?そういわれる理由は、寄席ではなく、若いころから劇場やホールなどでやって来たことが影響していると分析しています。『油断ができなかった』という談志師匠とのやりとりについても振り返っていただきました。

〈プロフィール〉
富山県出身。1983年、立川談志門下入門。1990年5月、立川流真打昇進。落語家の他、タレント・MCとしても活躍。NHK『ためしてガッテン』司会、文化放送『志の輔ラジオ落語DEデート』パーソナリティとして活躍するかたわら、古典・新作を問わず、現代に生きる視点で「志の輔らくご」を展開。