終わりよければ・・・(放送終了)

3月22日~3月25日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストはダイアモンド✡ユカイさん

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3月22日(火)「音楽に目覚めて」
ダイアモンド✡ユカイさんはもともと音楽には興味無し、スポーツの好きな少年でした。でも、中学時代、野球でかかとを痛めて療養していた時に友人が持ち込んだビートルズのレコードを聴き、気持ちが変わります。ビートルズから音楽の楽しさを感じたと話すユカイさんです。
紆余曲折がありながらもギターを弾き始めたユカイさんは、発表会でギター片手に歌う機会を得ます。イエスタディを歌い終えたときのクラスメイトからの大拍手で、ボーカル・ダイアモンド✡ユカイさんは歌を唄う事に目覚めたのでした。

3月23日(水)「レッド・ウォーリアーズ」
大学に進学し、友人とバンドを組んでいたダイアモンド✡ユカイさんですが、卒業を迎えた頃には友人は皆離れて行ってしまいました。ロックを続けるかどうか悩んでいるなか、元レベッカの木暮さんとバンドを組むことになります。歌は得意だけど曲作りは苦手だからちょうど良いと、ユカイさんは思ったのだそうです。
こうして結成したレッド・ウォーリアーズは最初は時代に合わせた音楽を演奏しますが、途中からやっぱり好きな事をやろうという気持ちになり、ガンガンのロックに転向します。最初はファンが激減しましたが、気が付けば時代の一番先頭に立っていました。でも、レッド・ウォーリアーズはたった3年で解散してしまいます。それは意外な、いや、ユカイさんらしい理由からでした。

3月24日(木)「ソロになって」
ダイアモンド✡ユカイさんのソロ第一作は"世界の女は俺のもの"、ユカイさん曰く、当時はつけあがっていたのだそうです。それなりに人気はあったものの、だんだんコンサート会場が小さくなっていき、レッド・ウォーリアーズを再結成した後には武道館を出入り禁止になってしまったりして、だんだん気持ちが落ち込んでいきます。
癒されたいと思って結婚したユカイさんですが、だんだん元に戻り生活はめちゃくちゃ、そしてスタッフにバンドのお金を持ち逃げされた頃には奥さんからは離婚を言い渡されてしまいます。バンドも解散、気が付けばマネージャーも居なくなったユカイさんは、ろうそくの光の元でベートーベンの悲壮を聞きながら、今後のことを考えていました。でも、結局、元に戻ってしまったユカイさんです。

3月25日(金)「バラからタンポポへ」
第二次独身時代を謳歌していたダイアモンド✡ユカイさんは、だんだん寂しさも感じるようになり、身近にタンポポの様な女性が居ることに気が付いて再婚します。今まではバラの様な女性が好きだったけれどタンポポがよくなったと話すユカイさんです。でも、ボソッと愚痴のような一言も・・・。
歳が年なので念のためにと調べた検査で、自分に子供ができない原因があるとわかったユカイさんは不妊治療を始めます。2回失敗した後、もういいやと思うユカイさんに奥さんはもう一回だけと。名医の元で子宝を授かり幸せになったユカイさんに今後の御自身について伺ってみた処、挑戦し続ける気持ちをずっと持っていたい、これが夢と話してくれました。

<プロフィール>
1986年、伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてメジャーデビュー。人気絶頂期の1989年わずか3年の活動で日本武道館公演を最後に解散。その後、「ダイアモンド☆ユカイ」として、ソロ活動を開始する。現在は音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組に出演するなど幅広く活動。代表作のソフィアコッポラ監督作品映画『Lost In Translation』では、業界人の特徴をついかんだCMディレクター役を好演し、ビル・マーレイと対峙した。2010年デビュー25周年を迎えた。また私生活では47歳にして初めてパパになる。2011年7月21日には自身の不妊治療と夫婦の愛と葛藤の日々を綴った『タネナシ。』を講談社より発刊し大きな反響を呼んだ。また、2011年11月1日に双子が誕生した。ブログ「ユカイなサムシング」も『俺の妻』シリーズなど各所で話題に。