1月4日(月) 「モノマネ人生のスタート」
福岡県北九州市で生まれた原口あきまささん。
自衛官の父親としょっちゅう喧嘩をしていたそうです。
クラスの人気者だった原口さんは、先生のモノマネをしては、友人たちを笑わせていました。
退屈な授業中、先生のしぐさや口癖を見ているうち、独特の観察力が磨かれていきます。
父親に薦められて始めた剣道でも、この観察力が発揮されました。
1月5日(火) 「芸人を目指すきっかけ」
原口あきまささんは、剣道の推薦で高校に入学しますが、あっという間に剣道を辞めてしまいます。
その理由は、剣道がオリンピックの種目にないから。
授業では相変わらず先生を観察していた原口さんは、学園祭のステージでモノマネを披露し、大ウケ。
これがきっかけとなり、芸人を目指すようになります。
しかし、先生との三者面談で、初めてその事実を知った父親は...。
1月6日(水) 「モノマネ芸人になるまで」
芸人になるべく、上京した原口あきまささん。
コンビを組んで活動したものの、相方と折り合いがつかず、解散してしまいます。
ピン芸人として生きていくことを決意した頃、高校時代の友人に「モノマネをやったら?」とアドバイスを受けたそうです。
その言葉を胸に、原口さんはモノマネを活かしたショートコントを作るようになります。
そして、大ブレイクのきっかけとなった、明石家さんまさんのモノマネ。
生まれたのは、あるモノマネ番組のオーディションでした。
1月7日(木) 「モノマネをするご本人との付き合い方」
モノマネをしているご本人には喜ばれることが多いものの、原口あきまささんは、できるだけ会わないようにしている人もいるとのこと。
明石家さんまさんに初めて会った時は緊張したそうですが、さんまさんが最初に放ったある一言で、原口さんは救われます。
原口さんにとって、さんまさんはモノマネするだけで元気になれる存在となりました。
そして、柳葉敏郎さんもモノマネを歓迎してくれますが、
原口さんは、ついつい、ネタをエスカレートさせてしまい・・・。
原口さんが「モノマネをするご本人との付き合い方」について語ります。
1月8日(金) 「プライベートとこれから」
2010年にタレントとして活動していためぐみさんと結婚した原口あきまささん。
2人が出会った頃は合コンに行ってばかりで評判が悪く、原口さんは、電話番号の交換にも苦労します。
久しぶりのデートでは、二日酔いが功を奏しました。
現在、3児の父でもある原口さんは、2014年にベストファーザー賞を受賞しました。
「一日一回は笑う」、「叱るときはちゃんと叱る」。このバランスに気を付けているそうです。
そして、1月18日からは「変人4」の公演が控えます。
これからも原口さんが追求していくのは「ニセモノの面白さ」です。
<プロフィール>
1975年、北九州市出身。
北九州市観光大使、第33回ベストファーザー イエローリボン賞 芸能部門 受賞。