1月18日(月)「大きな身体」
中学2年生で既に、身長180cm・体重82kgと立派な体躯をしていた天龍源一郎さん。我々から見ると羨ましく思えるのですが、御自身にとって、大きな身体はコンプレックスだったそうです。
しかし、そこに『大きな身体の少年を探している』という相撲部屋のスカウトが現れ、将来はお米屋さんになりたかった天源一郎さんの人生が少しずつ変わり始めます。
月曜日は天龍源一郎さんが角界入りするまでを振り返ります。
1月19日(火)「二所ノ関部屋入門」
火曜日は、天龍源一郎さんが二所ノ関部屋に入門してから、部屋の分裂騒動に巻き込まれるまで。
「相撲の稽古を厳しいと思わなかった」という新弟子時代、また、付き人も務めた横綱・大鵬とのエピソードなどを伺っていきます。
1月20日(水)「相撲か、プロレスか」
部屋の分裂騒動に巻き込まれ、プロレスラーへの転向も視野に入れ始めた天龍源一郎さん。軽い気持ちでジャイアント馬場さんと会うことになり、その時の馬場さんの笑顔でプロレス転向に心が傾き始めたんですが、これまで応援してくれた後援会の方々やお父様の説得もあり、天龍源一郎さんの決意はブレまくります。
水曜日は、「相撲か?プロレスか?」漢・天龍源一郎、勝負の時!
1月21日(木)「俺はプロレスラー」
「あなたといると疲れる」と家族にも言われるほど、リング外でも常にプロレスラーだったという天龍源一郎さん。イメージを保つために、50歳過ぎまでコンビニやラーメン屋さんに入ったことがなかったそうです。
木曜日は、そんな天龍源一郎さんの「プロレスの原点」を探ります。基本は「やられたらやり返す」。輪島大士との一戦、大仁田厚との電流爆破マッチ、神取忍との性別を超えた闘いなどの裏話もあります。お楽しみに!
1月22日(金)「天龍源一郎 引退ロード」
最終日は、昨年の2月に現役引退を発表してから、11月の両国国技館までの引退ロードを振り返ります。
後半は、天龍プロジェクト代表でもある娘さんもスタジオにお迎えして、プロレスラー・天龍源一郎ではなく、一人の父親・嶋田源一郎としてお話を伺います。
<プロフィール>
日本の元大相撲力士、元プロレスラー、タレント。本名・嶋田源一郎。1950年2月2日、福井県生まれ。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋に入門し、翌64年初場所で初土俵を踏む。73年の初場所で新入幕を果たし、76年9月に引退。幕内通算108勝132敗、最高位は前頭筆頭。76年10月、全日本プロレスに入団。81年7月、ビル・ロビンソンと組みジャイアント馬場・ジャンボ鶴田に挑戦した試合で一躍人気となり、藤波辰爾(たつみ)、長州力らと共にプロレス人気を牽引。90年SWSに移籍、92年WARを設立し、98年からはフリーとなった。3冠ヘビー級、世界タッグなどを獲得し、99年12月、史上最年長(49歳10カ月)で新日本のIWGPヘビー級王座を獲得した。2010年にプロレス団体「天龍プロジェクト」を立ち上げる。15年11月15日、東京・両国国技館での対オカダ・カズチカ戦をもって引退した。