12月21日(月)「スピードスケートとの出会い」
北海道ご出身の岡崎朋美さん。スピードスケートを始めたのは小学1年生のときから。学校の授業で日常的に滑っていたそうです。小さい頃から運動神経が良かったという岡崎さんですが、スピードスケートだけは体をうまく動かせずに歯がゆい思いをしていたとか。高校入学後は、親元を離れたい気持ちもあって、釧路で下宿生活を始めます。厳しい門限や食事管理のもと、ますますスピードスケートに打ち込んでいくことになります。
12月22日(火)「名門、富士急行に入団」
高校を卒業後の進路で、OLとして社会に出ようと考えていた岡崎さん。そんな折に、スピードスケートの名門・富士急行に声をかけられます。自分の進路で悩んでいるとき、周囲からは「富士急の練習は大変でツラいよ」とたしなめられますが、そのことが岡崎さんの負けず嫌いな気持ちに火をつけたそうです。
12月23日(水)「朋美スマイル」
冬季オリンピック5大会連続出場という輝かしい記録を持つ岡崎さん。オリンピック出場を決める最初の選考会ではどうしても勝ちたいという秘められた思いを語ってくれました。
リレハンメルオリンピックが終わり、短距離だけでなく長距離走のトレーニングも始めます。同時期の大会でつぎつぎと勝てるようになり、「地元、日本でメダルを獲得したい」と、強く思うようになります。そして、迎えた長野冬季オリンピックで、華々しく3位入賞、見事銅メダルに輝きます。
12月24日(木)「富士急行からよしもとへ」
冬季オリンピック、6大会目の連続出場を目指していたと語る岡崎さん。長野オリンピックが終わり、一息ついていた時期にご主人と出会います。しかし、その出会いは偶然ではなかったようです。お二人はどのようにして結ばれたのでしょうか?また、現役引退後は富士急行の管理職を務めます。しかし、「自分の幅を広げたい」との思いから退社を決意し、その後、よしもとへ所属されます。
12月25日(金)「母になったスプリンター」
いまや一児の母である岡崎さん。今日はお子さんがスタジオに遊びに来てくれました。お子さんにはまだスピードスケートデビューをさせてないと言います。最近、富士急行の監督からスピードしてもらったお子さんの無邪気な言葉に、岡崎さんは胸をつまらせます。
また、今後の進展についてお話を伺いました。現在は若い世代の育成にも力を注いでいるそうです。指導のときは朋美スマイルとは裏腹に、厳しい鬼教官になるようです。
<プロフィール>
1971年、北海道清里町生まれ。釧路星園高校から、富士急行スケート部へ。1994年から2010年まで5大会連続でオリンピックに出場。長野五輪では日本女子短距離として初めてメダルを獲得し、「朋美スマイル」は全国的に人気となる。トリノ五輪では日本選手団主将、バンクーバー五輪開会式では日本選手団の旗手を務める。2013年12月に現役引退を表明。