終わりよければ・・・(放送終了)

12月14日~12月18日の「ラジオ サロンdeくにまる」のゲストはデーブ大久保さん

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12月14日(月)「野球との出会い」
3歳の時にお父さまが亡くなり、女手ひとつで育てられたデーブさん。小学校に入学するときに、腹違いのお兄さんに「大きくなったら何になりたい?」と聞かれ、思わず「野球」と答えてしまい、なんとそれが野球を始めるきっかけになったそうです。野球に打ち込む一方、地元ではそうとうヤンチャでケンカも多かったとか。名門水戸商業高校に進学し野球を続けますが、残念ながら甲子園には行けずじまい。しかし、そのプレイは好評で、西武ライオンズのチーフスカウトが練習を見に来ていたそうです。

12月15日(火)「西武ライオンズ入団」
西武ライオンズから1位指名を受けたデーブさん。契約金は4,000万円と提示されましたが、その時球団側の涙を誘ったというお母様の言葉とは?入団後キツい練習が始まり、なかなか試合にも出られません。下積み時代の広岡監督や伊原コーチ、森監督との逸話も伺いました。そして、そんな西武ライオンズに話題のルーキー、同じ右打ちの長距離バッター清原選手が入団してきます。実際二人の関係はどうだったのでしょうか?当時の胸の内をお伺いしました。

12月16日(水)「巨人での大活躍」
なかなか西武ライオンズで活躍出来なかったデーブさんはトレードを訴え、そして、訴えてから3年後ジャイアンへの移籍が決まりました。元々ジャイアンツファンだったデーブさんの当時の心境を伺いました。そして、その後、憧れの長嶋茂雄さんが監督に就任されます。広島戦で三振してバットをバキバキに割って暴れていた時、長嶋監督がデーブさんに掛けた言葉とは?また「プロ野球の楽しさ」についてもたっぷりと伺いました。

12月17日(木)「現役引退」
28歳で現役引退したデーブさん。その後スポーツマネジメント会社「デーブカンパニー」を設立します。その独立を勧めてくれたのも、会社名を考えてくれたのも長嶋監督だったそうです。野球解説をしながらタレントとしても活動していたデーブさんは、渡辺久信監督からの誘いで、西武ライオンズのコーチになりますが、そこにはかなりの葛藤があったようです。コーチ就任後、頑張ってきたデーブさんですが、再びユニフォームを脱ぐことになります。当時の心境や野球に対する思いをお話しくださいました。

12月18日(金)「楽天の監督とこれからのデーブさん」
もう二度とプロ野球界に戻ることはないと思っていましたが、東北楽天ゴールデンイーグルスから誘いを受け、2012年1軍バッティングコーチに就任します。2軍監督を経て2015年1軍監督を務めました。会社組織のトップである楽天三木谷会長との関係性とはどのようなものだったのでしょうか?結局、監督を辞任しますが、オファーがあればまたユニフォームを着たいと語るデーブさん。来年開店を予定している居酒屋や野球教室など、デーブさんの活躍のフィールドはまだまだ広がりそうです。

<プロフィール>
'67年、茨城県生まれ。水戸商から豪打の捕手として'85年ドラフト1位で西武入団。'92年、巨人へトレード移籍。'95年、現役引退。引退後はタレント、プロゴルファー、解説者等を経て'08年、西武一軍打撃コーチに就任。'12年楽天一軍打撃コーチ、'13年、二軍監督を経て'14年10月、一軍監督に就任。しかし、'15年10月、成績低迷の責任を取り退任。

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そして、今週はSPウィークということで、「ラジオ サロンdeくにまる 特別編」もあります!ゲストは、MAX。
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12月14日(月)「TORA TORA TORA」
MAXのメンバーは皆沖縄出身。デビューしてCDを2枚出しますが全然売れません。もともと企画もので始まった単発のグループだったからと当時を振り返るMAXのメンバーですが、次も売れなかったら沖縄に帰すぞと事務所から言われたのはショックだったようです。そして3枚目の「TORA TORA TORA」が大ヒット、これは大事なチャンスをつかんだ一曲となったのでした。
この時からはじまったMAXのメンバーの東京暮らしはもう20年。でも未だにみんな東京の生活に慣れることができません。仲良しのMAXは苦手な物も同じでした。

12月15日(火)「Give me a shake」
Give me a shakeはMAX初のランキングトップ曲。オリコンで1位になった時にはスターになった気分だった、そしてこの曲のおかげで紅白にも出られたと話す3人です。
それまでのMAXメンバーは全員一緒の生活。シャワーや電話が1つしかなくて苦労したと話すメンバーですが、とても楽しそうに当時の生活を振り返ってくれました。曲がヒットした事で別々の部屋に住むようになりますが、それでも同じマンションの別の部屋。事務所の都合もあったようですが、仲良しのメンバーにとってはこれで良かったようです。

12月16日(水)「MAXメドレー」 
Give me a shakeのヒット以来、MAXは絶好調。実に13曲連続でベストテン入りを果たします。そこで今回のサロンdeくにまるでは趣向を変えて、当時のMAXの3曲をメドレー仕立てにしてみました。
銀河の誓いからGrace of my heart そしてRide on time。MAXのライブでも、この曲順は珍しいのだそうです。今回はパーソナリティのリクエストでの構成です。

12月17日(木)「一緒に」 
"一緒に"は、MAX初のバラード曲。踊らない曲だったのでステージではどう表現したら良いか迷ったし、ファンの反応もわからなかったのだそうです。
しかもこの曲を出すタイミングでミーナさんがMAXから離れる事になりました。歌詞のストーリーと実際のストーリーが重なってしまい、ずっとMAXとして活動できると思っていたメンバーは途方に暮れてしまいましたが、一番つらかったのは当人のミーナさん。今日は当時の心境を話してくれました。

12月18日(金)「ニューアルバム」
MAXから離れたミーナさんは、沖縄で普通に生活していました。でも、MAXの曲を聞くのはとてもつらかったと当時を振り返るミーナさんです。
もう一度メンバーに戻りたいとミーナさんが思ったのは5年目の事。MAXのメンバーに手紙を書き、マネージャーさんに託しますが、ここにはちょっと手違いが。今となっては笑い話になる思い出です。
まずは25周年、目標は還暦MAXだそうです。ずっと変わらないでいたいと話してくれましたが、ナナさん、リナさんはあることだけは経験したいのだそうです。それは・・・・。

<プロフィール>
1995年、安室奈美恵も在籍した沖縄出身のグループ"スーパーモンキーズ"としてデビュー後、安室のソロ活動開始に伴い、ナナ、ミーナ、レイナ、リナの4人で"MAX"を結成。シングル「恋するヴェルファーレダンス~サタデー・ナイト」でデビュー。ヒット曲を連発し、歌唱力とダンスを武器に活躍。その後、メンバーチェンジを経てNANA、MINA、LINAの3人体制でのシングル「Tacata'」(2013年)は中毒性のあるフレーズで話題に。2015年にはデビュー20周年を迎え、精力的に活動中。