11月23日(月)「SHOW-YA誕生」
SHOW-YAのボーカル、寺田恵子さんはカルメン・マキさんの大ファン。マキさんの後を継げるのは自分だけだと信じて、コピーバンドから活動を始めました。SHOW-YAに加入したきっかけは勧誘されたから。3回断った寺田さんですが、4回目に直接断りに行ったら、そこに居たのは同じバイト先の人。この偶然の出会いで断れなくなってしまった寺田さんでした。
当時、このバンドは違う名前でしたが、なかなか芽が出ません。名前が悪いからじゃないか?という話になり決めた名前がSHOW-YA。居酒屋から名前をもらったのですが、後には、この名前が縁で実際に一日女将を体験する事になったのだそうです。
11月24日(火)「デビューのきっかけ」
SHOW-YAは実力を認められるようなバンドになりましたが、なぜかデビューの話はきません。見かねた楽器屋さんが事務所を作ってくれてやっとデビューしますが、やはり全然売れません。SHOW-YAの評価は高いのに売れないのはボーカルの自分のせいだと、寺田さんは落ち込んだのでした。そこでハードロック路線で行くことを決めビジュアルを考えているときに、下着で歌ったらどうだろうを思い立ちます。下着に鋲を打ち、これをステージ衣装としたのでした。後に「限界ラバース」がヒットし、SHOW-YAは一躍人気バンドになったのでしたが、これにはカルメン・マキさんからの貴重な一言もありました。
11月25日(水)「SHOW-YAからの脱退」
せっかく売れ始めたSHOW-YAから寺田恵子さんは脱退してしまいます。原点に戻りたいゼロになりたいと突然思ったと話す寺田さんです。そして半年間家事手伝いをした寺田さんは普通に就職しようとして、履歴書に書くべき職歴に悩んでしまいます。そんな折、友人とカラオケで久しぶりに歌を歌った寺田さんの元に、タイミング良く復帰のお誘いが掛かります。唄う楽しさを思い出した寺田さんはソロの歌い手として復帰することを決意し、今までとは違う形で再出発するためにアコースティックギターの練習を始めます。この時、寺田さんには、ある想いがありました。雪のニューヨークで・・・、空想の話です。
11月26日(木)「再結成して気が付いたこと」
寺田恵子さんはだんだん、またSHOW-YAの活動に戻りたくなります。しかし当然の事ながら昔のメンバーは許してくれません。15周年のときに5年掛けてメンバーを説得しようと決め、20周年の時に寺田恵子ボーカルのSHOW-YAを再結成しました。はっきりしないメンバーも居たので、逆に切れてみたら「やらないと言っているわけじゃない・・・」と、再結成がきまったそうです。SHOW-YAは普通とは違うバンドだと寺田さんは言います。奇跡のバンドなのだそうです。長い時を経ての再演奏をした時も、その間の日々が昨日と今日の間の事のように感じられたと寺田さんは話してくれました。
11月27日(金)「新曲 Lock Love」
SHOW-YAを結成した頃の合言葉は「女なめんなよ!」、でも、今は「熟女なめんなよ!」に変わったと寺田さんは話します。新曲 Lock Loveは作詞が秋元康さん。良い話よりも攻めの詩が欲しかった寺田さんは、歌詞を変えてもらうために秋元さんにメールを送ります。その後も何度も詩と曲のキャッチボールをして新曲を完成させると、NAONのYAON(ナオンの野音)に出ているアーティストもコーラスに参加してくれました。結婚はしてないけど今は充分幸せと話す寺田さんです。
<プロフィール>
1963年生まれ。高校1年生のとき、バンド活動を開始し、当時から注目される。 1985年、女性だけのロックグループ『SHOW-YA』のヴォーカリストとしてデビュー。8thシングル「限界LOVERS」は30万枚突破のロングセラーを記録。