10月19日(月)「浅田次郎の発想力」
まったく違う毛色の作品を数多く世に出されている浅田次郎さんは、作品ごとに別人が書いたように見えることを心がけて執筆されているそうです。
2つの作品を同時進行で手掛けることもあるそうですが、その切り替えは、まるで隣の部屋に入るようなもので、苦労はないとおっしゃっていました。
そして、執筆中は主人公になりきるものの、進む筆にブレーキをかけることも大事とのこと。
10月20日(火)「浅田作品の映像化」
高倉健さん主演の「鉄道員」、水谷豊さん主演の「王妃の館」など、多くの作品が映像化されています。
浅田次郎さんはそういった作品について、原作と比較してはいけない、預けたら文句は言わないというスタンスをとっています。
基本的には映像をご覧になっているそうですが、中には「見ない方がいい」というものも・・・。
そして、清朝の末期を描いた「蒼穹の昴」。
中国の現地取材はまったく行わずに完成させたそうです。
浅田さんが考える、現地取材の意義と怖さとは・・・。
10月21日(水)「執筆スタイルと便利になって失われたもの」
今でも原稿用紙に万年筆で原稿を書いている浅田次郎さん。
このスタイルは新人作家時代の名残りだそうです。
情報端末の進化は、執筆活動にも、旅行にも、便利さをもたらしました。
しかし、浅田さんは便利になることで、失われたものがあり、それを考えないといけないとおっしゃいます。
未知の探求であるはずの旅行から、非日常や感動が奪われてしまったと分析されていました。
10月22日(木)「浅田さんとギャンブル」
馬主でもあり、大の競馬好き・カジノ好きの浅田次郎さん。
馬券を買うときは必ず競馬場に足を運ぶこだわりぶりです。
また、カジノは、よくラスベガスにいらっしゃるそうです。
ルーレットやブラックジャック、そしてスロットを楽しまれていますが、それ以外のエンターテインメントからも刺激を受けているとおっしゃっていました。
一方、日本にカジノは不要と考えている浅田さん。
たとえカジノができても、行かないそうです。その理由は...面が割れるのが恥ずかしいから。
10月23日(金)「新作と外から見た日本」
21日(水)に発売された新作は、アメリカ人の男性が日本を訪れる物語。
書こうと思った理由は、「日本人が日本を失っているから」
アメリカの目から観察した日本を書ききたかったそうです。
コンビニエンスストア、新幹線。
日本では当然と思っていることが外から見るとそうではないことが多いと浅田次郎さんはおっしゃいます。
そして、浅田さんが書きたいと思いつつも、なかなか書けないでいるのは、恋愛小説だそうです。その理由とは...。
<プロフィール>
1951年東京都生まれ。95年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で吉川英治文学賞、10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。
10月19日(月)「渡辺美里さんの 『 今 』」
何と!デビュー30周年。記念アルバムも発売し、現在、ツアーで47都道府県をまわるなど、精力的な活動を続ける渡辺美里さん。初日は、そんな渡辺美里さんの近況をお聞きしているうちに、アッという間に時間が過ぎてしまいました。
10月20日(火)「ファーストアルバム 『 eyes 』」
10歳で歌手になることを決めたという渡辺美里さん。
火曜日は、「ミスセブンティーンコンテスト」で歌唱賞を受賞してからデビューするまでを振り返っていただきました。
「ミスセブンティーンコンテストはアイドル(が受けるオーディション)でしょ?」という、邦丸さんの失礼な発言に渡辺美里さんの表情が!(笑)
おかけする曲「eyes」は、12月に発売される「リマスター盤」からです。 お聴き逃しなく!
10月21日(水)「雨の西武球場」
渡辺美里さんといえば「西武球場ライヴ」を思い浮かべるリスナーさんも多いのではないでしょうか?水曜日は、20年間続けた西武球場ライヴの中から、1989年「雨の西武球場」にスポットを当てます。
編集を担当した番組スッタフは、その年の夏、リアルタイムでびしょ濡れになり、号泣していたそうです。
10月22日(木)「『 やりたいこと 』 を 『 やる 』」
木曜日は、コーナー冒頭から渡辺美里さんが邦丸さんに先制パンチを浴びせます。 邦丸さん、K.O.寸前です。
後半は、渡辺美里さんがさまざまなことにチャレンジし続ける理由について伺っています。
10月23日(金)「最新アルバム 『 オーディナリー・ライフ 』」
渡辺美里さんの最新アルバム『オーディナリー・ライフ』。
最終日は、そのアルバムタイトルに込めた想いについて語っていただきました。
来年の年明けまで続くツアーの情報もありますよ!
<プロフィール>
1985年デビュー。翌年「My Revolution」がチャート1位となり、同年8月、女性ソロシンガーとして日本初となるスタジアム公演を、西武スタジアムにて成功させる。以降20年連続公演という前人未到の記録を達成し、渡辺美里の活動の中でも代名詞的な存在となる。
2005年西武スタジアムに終止符を打った翌年、2006年からは、毎年「美里祭り」と題して様々な都市でLIVEが開催されている。
渡辺美里の活動は音楽だけにとどまらず、ラジオのパーソナリティー、ナレーション、ミュージカルなどにも挑戦している。