終わりよければ・・・(放送終了)

10月21日 嘉門達夫さんを迎えて

本日のゲストは、新刊「丘の上の綺羅星」を出版されたばかりの嘉門達夫さん。
k20151021o.jpg
当時MBSで放送されていた深夜放送「ヤングタウン」...通称「ヤンタン」にあこがれ、
笑福亭鶴光師匠に入門した達夫少年が、のちに師匠から破門されるも、
「嘉門達夫」として新たに羽ばたくまでを描いた実録青春小説。
そして、ヤンタンのプロデューサーであり、嘉門さんの育ての親である渡邊一雄さんとの、
心温まる交流がタテ糸となって、感動のラストが訪れるこの本ですが、
オンエアでは、その時々を振り返って、思い出とともによみがえるポップスを3曲、ご紹介いただきました。

・愛の休日/ミッシェル・ポルナレフ
1972年。当時、ラジオからは、ごく普通に「洋楽」が流れていました。
こんな大人っぽい歌を中学生が聞いていたんですか? と不思議がる小尾アナ。
「いや、当時は本当に、四六時中ラジオから、フォークと混ざって洋楽が流れていたんです」
そういえば...
深夜放送ファンなんて雑誌があって、人気投票で落合恵子さんが1位で...
と、次から次へと思い出が蘇ってきた嘉門さん。
「洋楽」を切り口にしてみると、また新たな発見があって面白い! と喜んでくださいました。

・ウーマン・イン・ラブ/バーブラ・ストライザンド
落語家をクビになった達夫少年。育ての親の渡邊さんに「旅に出ろ」と言われて北へ。
スキー場でアルバイトしていたときの思い出の歌。
「ツアーで来た客が宿のホールでディスコパーティーやるんですよ。
 その時、僕が好きだった子が、ただスキーがうまいだけの奴と、この曲でチークを踊ってね...」

・風のララバイ/アルバート・ハモンド
いったん大阪に戻った達夫少年に、渡邊プロデューサーは...
「こんどは南に行け」と指令。
そして与論島でバイト開始。
「貝細工のアクセサリーなんか作りながら、この歌を聞いてました。
 与論島の空気に、このさわやかな歌が合うんですよね」
与論島で「女性観が変わった」という嘉門さん。
邦丸さんは「僕は新島でした。わかるわかる!」と、50代オッサンならではの反応全開!

嘉門さんのコンサート情報は、こちらをご覧ください。