8月24日(月)「歌手になる夢」
少年時代、古賀メロディのギターの音色に憧れて、楽器店に並んでいるギターを外から眺めながら、いろいろと空想していたという弦哲也さん。そんなある日の朝、目を覚ますと枕元には、欲しくてたまらなかったギターが!
初日の月曜日は、弦哲也さんとギターとの出会い。そして、歌手になる夢を後押ししてくれた中学校の担任の先生とのエピソードなどを伺っています。
8月25日(火)「名ばかり歌手、田村進二」
作曲家の大沢浄二先生のもとに弟子入りして4年後、田村進二としてレコードデビューを果たしたものの、デビュー曲は鳴かず飛ばず。その後の曲の評判もイマイチ。その為、芸名を弦哲也に変えて再デビューをするのですが...。
火曜日は、「歌手というのは名ばかりだった」という、弦哲也さんがまったく売れなかった時代を振り返って頂きます。
8月26日(水)「歌手から作曲家への転身」
「歌手」という表舞台の仕事とは縁がなく、某音楽番組の裏方の仕事をしていた時に北島三郎さんから声をかけられ、
コンサートに同行することになった弦哲也さん。「北島三郎さんの前座で歌える!」と喜んだのも束の間、北島さんから頼まれたのは意外にも!
水曜日は、弦哲也さんが歌手から作曲家への転身を図るきっかけとなった、北島三郎さんとの出会いについて。
8月27日(木)「天城越え」
作曲家として新しい人生を歩み始めた弦哲也さん。しかし、歌手という夢も完全には捨て切れず、自分の進むべき道がわからなくなってしまった時期があったそうです。そんな時に手掛けたのが石川さゆりさんの代表曲「天城越え」でした。
木曜日は、「天城越え」をめぐる、作詞家:吉岡治、作曲家:弦哲也、歌手:石川さゆり...三人の真剣勝負をたっぷりとお楽しみ下さい。
8月28日(金)「音楽生活50周年」
最終日は、「近所に住んでいたので、小さな頃から知っていた」という水森かおりさんとのエピソードを中心にお話を伺っています。伸び悩んでいた水森かおりさんに、弦哲也さんが課した試練とは?
そして、後半は「音楽生活50周年」を総括していただいております。
<プロフィール>
1947年千葉県生まれ。1965年田村進二の芸名でデビュー。76年、弦哲也のペンネームで棋士内藤国男の「おゆき」で作曲家としてデビュー。名前の由来はギター好きだったことに由来する。78年NHK『あなたのメロディー』にグランプリ歌唱シングル「与作」を発表。歌手と作曲家のふたつの道を歩く。以後、石川さゆり「天城越え」、川中美幸「ふたり酒」「二輪草」など、女性演歌を中心にヒット作を量産。
8月24日(月)「詩の好きな女の子」
一青窈さんは台湾と日本のハーフ。お父さんの影響で、本が好き、詩が好き、手紙や日記も好きという文章好きだった一青さんはいろいろな文章を書きつづる子供でした。特に詩を書くのが好きで、それは今も変わらないと窈さんは話します。
病床のお母さんがミュージカルを見て元気を取り戻したのを見て、窈さんは生の音楽の持つ力に気付きます。詩の好きな女の子が歌を好きになる瞬間でした。
曲はハナミズキ。母校の後輩のコーラス付きです。
8月25日(火)「日本、台湾にソウルを探して」
ブラックミュージックを唄っていた一青窈さんは、デビューしないかと声を掛けられます。そして、「君のソウルは台湾に有るはず」と、指摘された窈さんは、改めて台湾のいろいろな楽曲を聴きはじめたのでした。
言葉の持つ美しさが好きな窈さんは、もらい泣きという言葉も好きです。とある事情でこの曲でのデビューには不安をもっていたと話す窈さんですが、だんだん言葉は変わっていってしまう中で自分は美しい言葉を守っていきたいとも話してくれました。
曲はそのもらい泣き。行き詰ってしまった友人との出来事を唄っています。
8月26日(水)「作詞について」
詩人、一青窈さんは二十歳の頃、詩の言葉がどんどん溢れ出てきました。それでフリーペーパーを作った事もあるぐらい沢山の言葉があって、今それらは唄に活きているのだそうです。フリーペーパーの反響は無かったけれどと窈さんは笑います。
言葉が出ないときは?と伺うと、そんなときはインプットに励む。そうすると必ず何かがやってくるのだそうです。もしかしたら、早くに亡くなった両親がいろいろと投げてくれているのかも、きっと唄も聞いてくれていると話す一青窈さんでした。
曲江戸ポルカ。タイトルの江戸というのは歌舞伎からで、そのフレーズが曲に活きています。そしてポルカは・・・、ちょっと冗談みたいな話です。
8月27日(木)「歌と平和」
一青窈さんのハマミズキは、実は9.11に巻き込まれた友人への唄。ラブソングととらえて貰っても構わないけれどと窈さんは笑いますが、同時に、歌が平和につながるのならそれもいいと、思いを語ってくれました。
窈さんは「人と歌」という企画をやっています。誰かが誰かに喜んでほしい時、それを歌で手伝うという企画ですが、この企画ではいつも感動で泣かされると話す窈さんです。
曲は一思案。窈さんのお母さんが大好きな井上陽水さんに曲をつけてもらったのだそうです。
8月28日(金)「アルバム ヒトトウタ」
今、一青窈さんのお腹には赤ちゃんが居ます。今なら子育てをできるだけの経験値があるのだろうと神様が思ったに違いないと言う窈さんですが、楽しみな事もあるそうです。
一青窈さんは先月、名曲のカバーアルバムを発表しました。みんな名曲なので、自分と違う歌い方をしているところはとことんまねしてみた、そのアーティストが降りてくるのを待つ、イタコさんのような心境だったと笑う窈さんです。
曲はジュリアン。歌手としても母としても奥居香さんを尊敬していると話す窈さんは、信じられない行動をとっていました。
<プロフィール>
東京都出身。台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、幼少期を台北で過ごす。
慶應義塾大学 環境情報学部(SFC)卒業。在学時、アカペラサークルでストリートライブなどを行う。
2002年、シングル「もらい泣き」でデビュー。
翌年、日本レコード大賞最優秀新人賞、日本有線大賞最優秀新人賞などを受賞。NHK紅白歌合戦初出場。
5枚目のシングル「ハナミズキ」、そして初のベストアルバム「BESTYO」が大ヒットを記録。
2004年に映画「珈琲時光」、2008年に音楽劇「箱の中の女」で主演をつとめ、
2013年に初の詩集「一青窈詩集 みんな楽しそう」を発売するなど、歌手の枠に捕らわれず活動の幅を広げている。