終わりよければ・・・(放送終了)

8月3日~8月7日の「サロンdeくにまる」のゲストは水谷八重子さん

mizutani_kunimaru.jpg

8月3日(月)「ご両親との距離」
芸能生活60周年を迎えられた水谷八重子さん。女優である初代水谷八重子さんと歌舞伎俳優14代目守田勘彌さんの間にひとり娘としてお生まれになりました。
しかし、生まれた時から両親と離れお母様のご実家で暮らし、時々両親の家に遊びに行くという生活だったそうです。戦時中には疎開を経験しましたが、その疎開先で初めてご両親と一緒に暮らしました。初日の今日は幼少の時代を振り返って頂きました。

8月4日(火)「芸能生活のスタート」
近所に住んでいた歌手の松田トシさんのもとにレッスンに通ったのが、芸能との出会いでした。八重子さんは女性としては変声期が激しく声のトーンが一気に変わりハスキーボイスになってしまいました。しかし、この声を「哀愁のある声」と言ってくれたのが作曲家の服部良一先生でした。この服部先生との出会いが八重子さんを歌手デビューへと導きます。また同時に女優としても舞台に立つようになります。

8月5日(水)「水谷八重子襲名」
水谷八重子とは、元々新派の女優であるお母様の芸名です。お母様が亡くなって、何年も経ってから松竹の会長からの命で「八重子」を襲名することになります。しかし、それまで長らく活動してきた「良重」という名前を失うことが悲しくなり、けじめをつけるために「良重最後のディナーショー」を開催しました。また、八重子さんはデビュー間もない20歳の時、でジャズドラマーである白木秀雄さんと結婚しますが24歳で離婚しています。今日は その頃のお話も伺いました。

8月6日(木)「女優、水谷八重子」 
八重子さんにとって演じるとはどういうことでしょう?1977年、大女優であるお母様の代表作「滝の白糸」を演じますが、この時、アドバイスをくれたお母様とは違う表現を貫き通します。お母様と初めて大げんかをしたのもこの時でした。
しかし、お母様が亡くなったあと八重子さんの心に変化が訪れます。
その変化とはいったい何だったのでしょうか・・・?

8月7日(金)「水谷八重子の好きなもの」
犬派だった八重子さんですが、とある猫との出会いをきっかけに猫好きになり、今は7匹の猫と一緒に暮らしているそうです。また、ジャイアンツの阿部慎之助選手のファンなのですが、いったい阿部選手のどこが好きなのでしょうか?
好きが高じて、昨年は念願の始球式のマウンドに立つことも出来ました。
「やり残したことはない」と語る八重子さんの日常を垣間見る最終日となりました。

<プロフィール>
母は新派の名女優初代水谷八重子。
昭和30年歌舞伎座の新派公演にて初舞台。平成7年に二代目水谷八重子を襲名。現在新派を支える女優として活躍している。主な受賞歴は昭和53年に「滝の白糸」「祇園の女」で菊田一夫演劇賞、63年に「佃の渡し」「京舞」で松尾芸能賞大賞、平成4年には「佃の渡し」で芸術選奨文部大臣賞、芸術祭賞、都民文化栄誉章などがある。さらに平成13年には紫綬褒章を受章。