終わりよければ・・・(放送終了)

7月13日~7月17日の「サロンdeくにまる」のゲストは柳生博さん

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7月13日(月)「船長にあこがれて」
茨城出身の柳生さん。学生時代、外国に行きたい思いが募って商船大学に進みます。その後、エッセイを書くバイトなどをしているうちに視力が落ちて船長になれないと判断。退学した後俳優座養成所に入ります。ところが駆け出しのころ、吃音になってしまい大変苦労します。怖かった先輩の話も出てきます。

7月14日(火)「役者駆け出しのころ」
俳優座養成所同期でトップのじょせいが今の奥様。柳生さんは補欠。なぜか二人は付き合うように。柳生さんは「男の魅力だ」とおっしゃいます。NHKのドラマに出ることになって人気者に。いろんな役をやったと振り返ります。朝、NHK、昼、メロドラマ、夜、凶悪犯などバラエティに富んでいました。邦丸さんとの意外なつながりに柳生さんがびっくりします。

7月15日(水)「百万円クイズハンター」
81年から12年間続いた午前のクイズ番組。3000回も放送があったそうです。その名前の由来や、今考えるとすごいスケジュールの収録方法。そして、他の仕事が入ったときのまとめ録りについてのエピソードです。売れっ子になった柳生さん、その一方で家庭が壊れていく事件が起きていました。

7月16日(木)「13歳で旅に出る。八ヶ岳へ」
柳生家は代々13歳になったら旅に出るという教えに従い、出かけた先が八ヶ岳近辺。そのことをふと思い出し、家族で現地に行った柳生さん。そこで、いきなり土地を譲ってもらいます。そして八ヶ岳での生活が始まります。いじめられていたお子さんもあっという間に順応してすくすくと育っていきます。いまやそこには年間10万人もの方が訪れるそうです。

7月17日(金)「息子の死、そしてこれから」
今年の5月、長男の真吾さんが病気で亡くなります。生前、子供ができた時に八ヶ岳で生みたいということで東京から移住。八ヶ岳倶楽部で活躍します。そのお別れの会は八ヶ岳で行われました。にもかかわらず1200人以上の方が訪れ、息子の活動の幅の広さを実感したといいます。

<プロフィール>

昭和12年1月7日生まれ。昭和35年俳優座養成所を卒業。主な出演作に「あれが港の灯だ」「ミンボーの女」,NHK連続ドラマ「いちばん星」など。また「生きもの地球紀行」などのナレーター,クイズ番組の司会者としても活躍。八ヶ岳山麓にアトリエをかまえ,森林保全運動にとりくむ。平成16年日本野鳥の会会長。