今週は、アラン・メリルさんがスタジオに来てくださいました。
アラン・メリル? 誰? ...という方のために、
簡単なバイオグラフィーをご紹介。
1951年ニューヨーク生まれ。
68年、母であるジャズ・シンガー、ヘレン・メリルとともに来日、
以降74年までの6年間東京でモデル、タレント、ギタリストとして
日本の芸能界で活躍する。
元テンプターズの大口広司と組んだ二人組ユニット、
ウォッカ・コリンズは人気を博しアルバムを1枚残す。
74年イギリスに渡りNY時代の友人とアローズを結成、
ミッキー・モストの、レーベル、RAKから
シングルをリリース、ヒットを放つ。
75年5月9日に発売した4枚目のシングルのB面曲を
アローズが1回だけテレビに出演し演奏したところを
たまたまイギリスツアー中だったランナウェイズのジョーン・ジェットが
公演先の楽屋で遭遇、雷に打たれたように感激する。
82年ジェットはブラック・ハーツを率い
この「アイ・ラヴ・ロックンロール」をカヴァー、
アメリカ・シングル・チャートの1位を7週連続でマークする。
アラン・メリルが40年前に書いた「アイ・ラヴ・ロックンロール」は
現在でも不朽のロックンロール讃歌として世界で愛されるている。
本年3月「アイ・ラヴ・ロックンロール」をフィーチャーした
アローズのCDが初めて日本でリリースされた。
...という、すげ~え方。
ちなみに、ローラ・ニーロは遠い親戚にあたり、
ブロンクスで兄弟のように親しく育った間柄...なんだとか。
「日劇、ウエンブリー・アリーナ、マジソン・スクエア・ガーデン、
この3箇所のステージを全部踏んだことのある人間て...
おそらくアランだけなんじゃないでしょうか?」(スタッフ氏)
「ヤング720」や「ぎんざNOW」に出てた、とか、
「時間ですよ!」にもゲスト出演したことある、とか、
文化放送も「ハロー!パーティー」に出演してたんだそうですよ。
放送でも、昔、JUNのCMに出ていた話が出たら
「モデルのエマとか、ハニー・レーヌとか...」
と、当時の男子には懐かしすぎる名前が次々に出てきたり。
「JUN! 憧れたけどオレの体型には無理だったんだ~」(邦丸)
「オレも!(笑)」(健太)
ちなみにアローズのジャケット写真を撮影したのは、
ローリング・ストーンズの初期のジャケットを担当したのと
同じカメラマンなのだそうで、
なるほど、ストーンズっぽい雰囲気が出てますよね。
控え室でも、スタジオでも、面白すぎる話が次々に飛び出して。
誰もが彼に本を書くよう勧めるそうですが、
忙しくてなかなか実現しないみたい(涙)。
ぜひまたスタジオに遊びに来てください!
興味をもった方はこちらもご覧くださいませ。
http://60spunk.m78.com/alanmerrilljp.html
おかけしたのは、次の4曲。
★アイ・ラヴ・ロックンロール(セカンド・ヴァージョン)/アローズ
アランの名を世界にとどろかせることになったロックンロール・アンセム。
「40年前の正に5月、この曲は録音されたんだ」
そんな節目の来日、そしてくにまるジャパン登場でした。
★ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット/ビートルズ
アランが初めて聞いたビートルズのナンバー。
それがジョージのヴォーカルだった、というのも象徴的です。
★いとしのルネ/レフト・バンク
この大ヒットをもつバンドのメンバーとして、
アランはオーディションに受かり、参加する予定だった。
ところが解散してしまい...失意のアランは、
母親に勧められ、当時ヘレンが滞在していた日本に渡ることに。
「この国にロックシーンはあるんだろうかと不安だったけど
東京の文房具屋さんのウインドウに、
ミリタリー・ルックを着たバンドの人形が飾ってあった。
後にして思えばそれはタイガースだったんだけど...
それを見てワオ!ここにもロックがある。俺の居場所があると思ったんだ」
★ホワッツ・カム・ビトウィーン・アス/アローズ
アローズのCDから、健太さんが大好きだというこの曲。
「当時付き合っていた、日本人の女の子との別れがこの歌になった」