4月27日(月)「スポーツ記者としての日々」
1968年生まれの長島三奈さんは、元々テレビ朝日のスポーツ局で、ディレクター、記者として働いていました。長島茂雄氏の娘という、特別扱いは一切なく、先輩たちに叱られながら、仕事を覚えて行ったそうです。
裏方だった三奈さんは、久米宏さんの声を掛けられ、突然TV番組「ニュース・ステーション」にスポーツ・キャスターとして出演することになります。その時の心境を語って頂きました。
4月28日(火)「高校野球、高校球児と出会って」
長島三奈さんは1998年から2013年の15年間、夏の甲子園高校野球のダイジェスト番組「熱闘甲子園」でメインキャスターをお勤めになりました。
その頃はすでにスポーツ・キャスターとして活躍していたにも関わらず、高校野球を生で観たことも取材したこともなかったそうです。その高校球児たちは三奈さんの目にどのように映ったのでしょうか?
4月29日(水)「伝説の試合を目の当たりにして」
1998年「熱闘甲子園」のメインキャスターになり、胸を鷲掴みにされるような試合の連続で、三奈さんは高校野球に夢中になります。中でも横浜高校対PL学園の延長17回に及ぶ準々決勝は忘れられない試合になりました。この時の横浜高校のピッチャーは松坂大輔選手。死闘の末勝利した横浜学園を称えるPL学園の球児の姿に、三奈さんは大きな感動を覚えたそうです。
4月30日(木)「父・長嶋茂雄」
「熱闘甲子園」を卒業したあとも、高校野球の取材を続けている三奈さんですが、もう仕事という感覚はないそうです。むしろ、背番号のない控えの選手との会話や、プライベートな話の方が発見が多いそうです。
三奈さんのお父様は伝説の野球選手であり巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さん。様々な逸話を持つ長嶋茂雄さんですが、娘の目にはどのように映っているのでしょうか?今日は娘、三奈さんから見た、長嶋茂雄さんについても語って頂きました。
5月1日(金)「ご家庭とプライベート」
お父様、長嶋茂雄さんは大きなご病気をされ、現在もリハビリを続けていらっしゃいますが、ご家族はどのように茂雄さんを支えて来たのでしょうか?
また、兄弟も多く賑やかな家庭で育ったにも関わらず、ひとりで過ごすのが好きという現在独身の三奈さんの結婚に対する考えとは?今日は、三奈さんのご家庭とプライベートを中心にお話を伺いました。
<プロフィール>
スポーツキャスター。1968年6月3日、東京都生まれ。長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)の次女。日本大学を卒業後、91年、テレビ朝日に入社。スポーツ記者として活躍した。96年より「ニュースステーション」金曜日のスポーツコーナーを担当。98年から、高校球児に密着・取材する「熱血甲子園」のキャスターとなる。2000年、同局を退社し01年に契約社員となって以降も同番組を担当。14年1月31日、テレビ朝日との契約が終了し、フリーとなった。