終わりよければ・・・(放送終了)

1月19日~1月23日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、根岸季衣さん

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1月19日 (月) 「演劇への道」
根岸季衣さんは東京生まれ、警察官だったお父さんはとても厳しい方でしたが、根岸さんは外が大好き、デパートのおもちゃ売り場で近所の子と遊ぶような女の子でした。
幼稚園の頃から学芸会では主役、あまりに根岸さんばかりが目立つので苦情もあったようです。そんな根岸さんが本格的に演劇へ進むのは桐朋学園の演劇専攻に入学するとき。薬剤師になれと言い続けていたお父さんからは、意外な言葉をもらった根岸さんでした。

1月20日 (火) 「保育園の先生から女優へ」
せっかく演劇を勉強していた根岸季衣さんですが、卒業まであと半年というところで学校をやめてしまいます。出番の少ない卒業公演の為だけに半年取られることに我慢ができなかったと根岸さんは笑います。
ところがここで根岸さんは保育士になろうとします。先に仕事をみつけ、それから短大に入り直した根岸さんですが、座学の退屈さに我慢できずまた中退。短大を二つ中退してしまった根岸さんでした。
そして今度はつかこうへいさんの事務所に入り、また演劇の道に進みます。なんとなく事務所の看板を背負うような状況になり、ちょっと荷が重かったけれど楽しかった、苦労はしなかったと根岸さんは話してくれました。

1月21日 (水) 「女優としての仕事」
根岸季衣さんは大ヒットドラマ「ふぞろいの林檎たち」に出演しています。山田太一先生の作品で声が掛かった時にとてもうれしかった。テレビドラマの良き時代を経験できたと根岸さんは話します。
そのドラマの収録中に旦那さんの訃報がありました。この時の中井貴一さんや時任さんの気配りに助けられた根岸さん曰く、人が弱っているときに一番いい男が分かるのだそうです。
役者は点数がわからない、でも、存在感が欲しいと言われたら役が小さいと思った方が良い、この言葉には引っかからないと根岸さんは笑いながら話してくれました。
とても器用、どんな役でもこなしてしまう根岸さんですが、ひとつだけ苦手な演技があるのだそうです。それは・・・。

1月22日 (木) 「バンド活動と結婚生活」
根岸季衣さんの最初の結婚相手は作詞家の大津あきらさん。舞台音楽をやっていたので住むところも稽古場も一緒。だけど役者としての自分を認めてくれた人と、根岸さんは大津さんを懐かしみます。
大津さんが亡くなってから根岸さんはブルースバンド活動を始めます。もともとは英会話の先生と始めたバンドでしたが、今は皆、気の置けない日本人仲間。昔レコードを2枚出したことのある根岸さんでしたが、なんでももっと早くライブをやらなかったのだろうというぐらい、バンド活動は楽しいのだそうです。
そしてバンドメンバーと再婚した根岸さんは、これでホッとした。今まで肩肘を張っているつもりはなかったけれどと、今の心境を語ってくれました。

1月23日 (金) 「今後について」
根岸季衣さんは仕事をしている時が一番楽しいのだそうです。ライブをやっても楽しいけど、それはきっとプロになりきっていない、楽しみすぎだと思うと、案外冷静に根岸さんは話します。
そんな根岸さんはライブ・映画・そしてミュージカルと大忙し。映画「まなざし」ではどんどん痩せていく娘を演じるために減量したという根岸さん、このままミュージカルが出来ればいいけれど、女性の場合は痩せるとおばあさん顔になってしまう、でもまた演技の幅が広がるのでこれも受け入れたいと話す根岸さんでした。
<プロフィール>
1954年2月3日生まれ、東京都出身。桐朋学園在学中につかこうへいと出会い、「ストリッパー物語」で主役で鮮烈なデビューを飾り、脚光を浴びる。'78「ヒモのはなし」で第13回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。ほか「蒲田行進曲」の小夏役を演じるなど、つかこうへい作品黄金期を支える一人である。また、ドラマ「愛さずにはいられない」('80/NHK)に主演するなど映像の世界にも意欲的に進出。「ふぞろいの林檎たち」('83'97/TBS)、「痛快!OL通り」シリーズ(''89/TBS)、「モモ子」シリーズ(TBS)、「警察庁鑑識課」シリーズ(NTV)など、映画「野獣死すべし」('80/村川透監督)、「海と毒薬」('86/熊井啓監督)、「タフ 」('91/原田眞人監督)、「死国」('99/長崎俊一監督)、「ほとけ」('01/辻仁成監督)、「漫☆画太郎 ババァゾーン(他)」('04/山口雄大監督)ほか、過去を背負った薄幸な役から、ほっとする存在、豪快なおばさんの役はたまた、妖怪のようなおばあちゃんまで幅広く演じ、変幻自在な様を見せつけている。