終わりよければ・・・(放送終了)

12月1日~12月5日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、倉本聰さん

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12月1日 (月)
北海道富良野市拠点に活動されている倉本聰さん。先日他界された高倉健さんとの思い出話から今週はスタートします。
倉本さんはシナリオライターや役者を養成する「富良野塾」を2010年に閉じてしまいました。最近の若者は無気力無反応だと言います。それも富良野塾を閉塾した理由のひとつだとか。そんな倉本さんの目には東京の小劇場に出演する若者はどのように映っているのでしょうか。

12月2日 (火)
倉本さんは自分の本当の意図が伝わらないまま制作されるテレビドラマに疑問もあったと言います。そんな倉本さんがストレス解消のためにしていた「ナスの呪い揚げ」とは?倉本さんの代表作と言えば21年間続いた「北の国から」。この「北の国から」と出演者の実生活は色々リンクすることも多くあったようです。亡くなった地井武男さんが演じたシーンの話などもしていただきました。

12月3日 (水)
テレビドラマを見ないという倉本聰さん。その理由とは?また、ラジオドラマに対する思いも語って頂きました。役者に合わせてセリフを書いているという倉本さん。またまた高倉健さんとのエピソードが飛び出します。
ところで「北の国から」の特徴的な黒板純の「〜なワケで...」というナレーションにはモデルがあったそうです。そのモデルとは?

12月4日 (木)
東京大学を卒業して、ラジオ局に就職した倉本さんは、渥美清さん出演のラジオドラマの演出、ディレクターを担当していたそうです。そのときに、放送用のテープを消してしまうという大きな事件がおきてしまいます。倉本さんはそのピンチをどのように切り抜けたのでしょうか?ところで「北の国から」の「泥のついた1万円札」のエピソードを覚えていますか?このアイデアはどこから生まれたのでしょうか?

12月5日(金)
現在は舞台を中心に活躍する倉本さん。来年は倉本聰さん書き下ろし演出による舞台「夜想曲--ノクターン」の全国公演ツアーを行います。昨年、福島の海岸で砂を掘っている男性に出会ったことが、この脚本を執筆するきっかけになったそうです。また、倉本さんはどんな「老人」を目指しているのでしょうか?「倉本節」を充分にご堪能ください。

<プロフィール>
1935年、東京都出身。脚本家・劇作家・演出家。東京大学文学部美学科卒業後、1959年ニッポン放送入社。1963年に退社後、脚本家として独立。1977年、富良野に移住。1984年から役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰。
代表作に「北の国から」「前略おふくろ様」「昨日、悲別で」「ライスカレー」「優しい時間」「風のガーデン」など多数。
2006年より「NPO法人C・C・C富良野自然塾」も主宰し、閉鎖されたゴルフ場に植樹をし、元の森に返す自然返還事業と、そのフィールドを使った教育プログラムにも力を入れている。