終わりよければ・・・(放送終了)

11月10日~11月14日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、真中満さん

11月10日(月)「野球を始めた頃」
子供の頃からスポーツ好きだった東京ヤクルトスワローズ新監督の真中満さんですが、本格的に野球を始めたのは小学校4年生の頃だったそうです。当時はカープファン、強かったから好きだったと話す真中さんですが、例の赤い帽子まではかぶっていなかったと話してくれました。高校は野球の名門に進み、二度甲子園へ。大学でもすぐにレギュラーとなった真中さんでしたが、日本大学に進学した時は何となく流されて行ったのだと真中さんは笑います。当時日大は2部リーグ、この「2部」の意味すら知らなかった真中さんでした。

11月11日(火)「ヤクルトスワローズ 入団」
日大が東都大学リーグの1部に昇格した2年生の頃から、もしかしたらプロになれるかなと真中さんは思ったのだそうです。ベストナインを4回受賞した真中さんは見事にドラフト3位でヤクルトスワローズに入団します。神宮球場が好きだけど、そううまくはいかないだろうと考えていた真中さん、表には出さないまでも、ヤクルトの指名はとてもうれしかったそうです。当時のヤクルトは強く、女性ファンもたくさんいました。当然レギュラー争いは大変です。代わって出るためにはだれかが怪我でもしてくれないといけない。この心境を正直に話してくれた真中満さんでした。

11月12日(水)「代打の神様/現役引退」
1999年には打率3割をマーク、そして2007年には真中満さんに代打の神様という異名がつきましたが、意外な事に、外人と青木選手が居たために外野手としてはレギュラーになれず、やむなく代打として起用されていたのだと、真中さんは話してくれました。代打はスタンバイが大変だけど、投手よりは楽と話す真中さんです。2008年に真中さんは現役を引退します。引退試合ではガチでの勝負を願ったところ、これまた真中さんらしい終わり方となったのでした。

11月13日(木)「コーチとしての真中さん」
引退した真中さんは、そのままヤクルトのコーチ、そして二軍監督になります。本人雄個性を活かしたいから、まずは良く見ること、と言うのが真中さんの基本なのだそうです。そして、気になる点があっても調子が良い時は触らない。悪くなってきたら初めて話をすると、御自身の指導方針を話してくれました。コーチした選手が試合で活躍したらどうですか?という質問には、万歳する訳にはいかないけれど、ヒットやホームランを打ったらやっぱりうれしいと、ストレートに話してくれました。でも試合後、コーチ陣などで飲みに行った時の話の内容は、いろいろだよとだけ話す真中新監督でした。

11月14日(金)「東京ヤクルトスワローズ 監督就任」
真中新監督に東京ヤクルトの課題を伺ったところ、野球はやっぱり守備が大事、課題は投手力だと話してくれました。打てば給料は上がるけれど・・・・、と笑います。優勝の喜びは優勝しないとわからないから、優勝を知っているメンバーが残っているうちに優勝したいとその心意気を語ってくれました。また、ヤクルトというチームは、勢いに左右されやすいのだそうです。4月5月にどれだけ行けるかが勝負だとも真中さんは話してくれました。優勝を約束してくださいと伺うと、約束はできないけれど頑張りますという答えが返ってきました。慎重、そして正直な真中新監督です。

<プロフィール>
■生年月日 1971年1月6日
■出身地 栃木県
■出身校及び球歴  宇都宮学園高-日本大-ヤクルト(93~08)
■指導歴 東京ヤクルト/二軍打撃コーチ(09~10)/二軍監督(11~13)/一軍チーフ打撃コーチ(14)