終わりよければ・・・(放送終了)

10月6日~10月10日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、杉山愛さん

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10月6日(月)「子供の頃の話」
杉山愛さんは子供のころから活発。小さい頃はフィギアスケートからピアノまで、テニス以外にもいろいろな事をやっていましたが、小二の頃にはもうテニスが一番になっていて、毎日、小学校の帰りにテニススクールに通っていたのだそうです。負けず嫌いで、試合に負けると泣いていたと話してくれた愛さんですが、実際の処、愛さんは試合よりも練習の方が好きだったそうです。
こんな杉山愛さんが中学で入ったサークルは意外な処。週に1回しか活動が無いのでテニスの邪魔にならない、それだけの理由でここに入ったのでした。
 
10月7日(火)「高校生でのプロ入り」
杉山愛さんは、17歳でテニスのプロになります。早いようですが、15歳でワールドジュニアランキングで1位になった事、全日本室内で優勝したこと、そして世界的名選手のナブラチロワから高1の時に1セット取れた事、こうしたことから、早くからプロプレーヤーになろうと思っていたのだそうです。
そして同じころ、通信制の高校に転校します。プロ選手は学校の公休が認められないので出席日数が足りなくなってしまう、だったらツアー先でも勉強できる通信制にしようという考えからでしたが、結果的に良い息抜きになったと愛さんは話ます。
プロになってから、コーチの元に通う時間がもったいなくて一人暮らしを始めた愛さんは、意外と一人暮らしをエンジョイしていました。初めてロールキャベツを作った時は両親も駆けつけてくれたのだそうです。

10月8日(水)「現役時代」
杉山愛さんは25歳の時、突然スランプに陥ります。どうすれば良いかが全く分からなくなってしまった愛さんは、テニスを辞めたいと考えます。でも相談相手のお母さんから、「すべてやりきったの?」と訊かれた愛さんは、逆に解決法をお母さんに尋ね、「見えるわよ」と答えたお母さんにコーチをしてもらうようになります。後に聞いたところでは、「愛らしさを失っている」とお母さんは思ったのだそうです。
基礎からのやり直しで愛さんはまたペースを取戻し、とうとう2000年にはウィンブルドンのセンターコートに立つことができました。そしてそこは小さいころからポスターで眺めていたあこがれの地でした。

10月9日(木)「プロテニス引退」
スランプを脱した杉山愛さんは、女子プロテニスの世界トップ10に名前を連ねるようになります。お母さんと二人の遠征をする生活になりましたが、お母さんというよりはコーチとしての存在が9割以上だったのだそうです。でも、ママと呼んでいたと愛さんは話します。
2009年に愛さんは現役を引退します。肉体的にも精神的にも限界かなと思った愛さんはお母さんに相談したところ、「いいんじゃない」とあっさり言われたのだそうです。次のシーズンの自分の姿を思い浮かべることが出来なくなった事も大きかったと言う愛さんですが、同時に、これ以上ない解放感が気持ちよかったとも話してくれました。

10月10日 (金)「錦織選手の快挙/今後について」
引退して2週間後にゴルフのレッスンをしてもらったのがきっかけで知り合った方と、2年後に杉山愛さんは結婚をします。日本人の顔をしているけれどインターナショナルな人で、自分を受け止めてくれるのはこの人しかいないと思った愛さんでした。
そんな愛さんは今は指導者。錦織選手は本当にすごい!100年に一度の逸材だと話す愛さんは、自分ぐらいのプレーヤーなら居るけれどと、謙遜しながら話してくれました。
でも、テニスプレーヤーはテニスがうまいだけではダメ、総合力が強くないとと話す愛さんには、やはり指導者としての意気込みが感じられます。

<プロフィール>
神奈川県出身。 4歳でラケットを握り、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。17歳でプロに転向し、34歳まで17年間のプロツアーを転戦。グランドスラムでは女子ダブルスで3度の優勝と混合ダブルスでも優勝を経験し、グランドスラムのシングルス連続出場62回の世界記録を樹立。2009年10月、東レパンパシフィックオープンを最後に現役を引退。現在は後世育成活動やコメンテーターとして活躍中。2011年3月に結婚。