9月22日(月)「 小豆島から大阪へ 」
御両親が、戦争による空襲で大阪から焼け出され、親戚を頼って辿り着いた小豆島でお生まれになった石倉三郎さん。子供の頃はとにかく貧乏で、何をしてもつまらない...そんな日々を送っていたそうです。
しかし、中学生になって引っ越して来た大阪では"貧乏"が笑いのネタになることを知った石倉三郎さんは...。
月曜日は、石倉三郎さんの少年時代を振り返っていただきました。
9月23日(火)「 役者になりたかったら青山へ行け! 」
中学校を卒業して就職した会社の専務さんから「お前は面白いから営業へ行け」と言われ、「俺は面白いのか...だったら三木のり平や植木等みたいな俳優になれるかもなぁ...」と、おおいなる勘違いで会社を辞め、東京に出てきてしまった石倉三郎さん。当然、世の中そんなに甘くはなく、生活費と劇団の月謝を稼ぐために毎日毎日アルバイトの日々。そんな時、バイト先のパートのおばさんから「役者になりたかったら青山へ行け!」という、その後の石倉三郎さんの運命を大きく変えることになる一言が!!
9月24日(水)「 あんた、バカじゃないの?! 」
アルバイト先の近くにあった喫茶店で高倉健さんと知り合い、高倉健さんから「役者を目指してんの? 東映でいいなら紹介できるよ」と、言われた石倉三郎さん。しかし、その時の石倉三郎さんの返事は、喫茶店のママが「あんた、バカじゃないの?」と、あきれるほど意外なものでした。
結果的には高倉健さんの紹介で東映の大部屋俳優になるのですが、そこでも「あんた、バカじゃないの?」と言われてもしょうがない騒ぎを起こしてしまい...。
9月25日(木)「 周りに当たり散らす日々 」
横柄な態度のスタッフをポカリとやってしまったのが遠因で東映を辞めてしまった石倉三郎さん。そんな時、「俺のショーの司会をやらないか?」と声をかけてくれたのが坂本九さんでした。その後、「よかったらマネージャーをやってくれ」と言われるまでになった石倉三郎さんでしたが、役者になる夢はあきらめきれず...。
木曜日は、役者になる夢を持ちつつも、現実は劇場でコントをやるしかなく、そのどうにもならない想いを周りに当たり散らしていたという、石倉三郎さんのくすぶり続けた日々。
9月26日(金)「 レオナルド熊さんとの出会い ‐ ラッキーパンチ 」
『チャップリンンズ』というコンビでコントの舞台に立っていた石倉三郎さんの前に突然現れ、「俺と組もう!」とコンビ結成を持ち掛けてきたのがレオナルド熊さんでした。「熊さんと組んだ方が面白いな...」と感じた石倉三郎さんは、ふたりで『ラッキーパンチ』を結成。『笑点』や『花王名人劇場』からの出演依頼が舞い込むような注目のコンビとなったのですが、そんなチャンスが巡ってくる度に、相棒の熊さんが体調不良で倒れるという悪循環に陥り...。
最終日は、『コント・レオナルド』の前身コンビである『ラッキーパンチ』の結成から解散まで。
そして、この後の話は、また日を改めまして...。
<プロフィール>
1946年、香川県出身。主な代表作に2003年「座頭市」 、2006年「犬神家の一族」 、2010年「相棒-劇場版-2」、2011年「ゴドーを待ちながら」(舞台)など。