9月15日(月) 「笑顔とラーメンで続けたピアノ」
服部良一という昭和の大作曲家を父に持つ服部克久さん。家には笠置シヅ子さんや灰田勝彦さんなど昭和の大スターが歌の練習に来ていたそうです。大スターの素顔をよく見ていた服部さんは、「若いうちからピアノでもやっておけば?」という母の勧めでピアノを始めます。あまりピアノは好きではなかったのですが教則本のレベルが上がるとご褒美に駅前のラーメンが食べられた。この時の親の笑顔とおいしいラーメンが食べたくてピアノを続けられたのだそうです。
9月16日(火) 「三拍子のハンカチ」
中学、高校時代、周りで音楽をやっている人が何人かいた。仲間とバンドを組んで服部さんはピアノとアレンジを担当します。服部さんの初アレンジ作品は「第三の男」。イケメンメンバーにギターを弾かせ大うけしたそうです。そして、その後、母の勧めでパリに留学することになります。神戸の港から船で渡仏するとき、たくさんの見送りの人の中で父親がハンカチを三拍子で振っていたのですぐに見つけられたそうです。そして服部さんの人生の中で最も音楽の密度が濃い3年間が始まります。
9月17日(水) 「初仕事とダークダックス」
帰国後、父親の紹介などで放送局のお偉いさんなどに面会するが仕事にはなかなか結び付かなかった。ある日、日本テレビの前を歩いていると、高校時代のバンドの仲間が声をかけてきた。テレビ番組を作っているから、ダークダックスのアレンジをやらないかと誘われます。ダークダックスは当時、今の「嵐」のような大人気グループ。民謡をフランス歌曲風にアレンジして認められ、服部さんの仕事キャリアがスタートします。ダークダックスとソ連(ロシア)を回った思い出も語っていただきました。
9月18日(木) 「音楽のDNA」
息子で音楽家の服部隆之さんには、音楽家になれと一切言っていなかったが、結局音楽家になった。唯一のアドバイスは「いいメロディーが浮かんでくるのは30歳までだから、頭に浮かんだものは書いておけ」今年、服部さんは10年ぶりに21作目となる作品集「音楽畑」をリリースします。ご自分が作った作品をもっと大事にしたらどうだといわれたことがきっかけ。父親の服部良一さんからの感想の手紙はとてもうれしく今も大事にしまってあるそうです。
9月19日(金) 「これからの音楽活動」
10年前に無理がたたって病気をした服部さん。それまでは大きな仕事が終わると、出来不出来にかかわらず飲みに行っていた。お酒はそんなに強くないのですが、その時にいろんな人と語り合うのが次の仕事につながるのだそうです。でも、病気をきっかけに今までとは違う音楽が出てくるようになった。新しいこと、音楽にはまだまだ挑戦していきたい。一つでも多く残していきたいと思うようになったそうです。
<プロフィール>
フランス、パリ国立高等音楽院修了。
日本を代表する作編曲家として、映画「連合艦隊」、アニメ「トム・ソーヤの冒険」、フジテレビ「ミュージックフェア」、NHK 連続ドラマ「わかば」をはじめ幅広い分野で活躍。音楽家という枠を超え、イベント・プロデューサーやピアニスト、指揮者、司会者としてテレビに出演するなど、才気あふれる活躍が注目を浴びている。現在、日本作編曲家協会会長、東京音楽大学客員教授。