7月28日(月) 「子供の頃の話」
コージー冨田さんは神戸生まれ、その後、愛知県へ引っ越していきました。神戸は関西弁、愛知は三河弁と言葉が違う中、ふと出てしまった関西弁でいじめに遭いそうな雰囲気を感じたコージーさんは、愛知の言葉を耳で聞きこれを真似しようとします。コージーさんの初めてのモノマネはこれ、必要に迫られてだったのだそうです。
その後、家や教室でものまねをやるようになったコージーさんは、鶴見慎吾さんなどテレビに出ている人のモノマネをカセットで練習するようになりました。似ていなくて笑いを取れるタイプではない、自分はものまねが似ていて初めて尊敬されるタイプだとコージーさんは自身を語ってくれました。
7月29日(火) 「デビューまでの道のり」
コージー冨田さんはいろいろとものまねをやっていました。でも、アイドルのものまねはやる人によって評価が変わるので怖かったのだそうです。そんなコージーさんですが、現実には、芸人になるどころか、なりたいものが全然無かったのだそうです。
家の居酒屋を手伝ったりしていた時に、テレビ東京の「全日本そっくり大賞」に応募します。葉書ではなく電話で応募できるのが手軽だったので応募したけれど、間違えて応募電話を受けたオペレータさんに物まねをやってしまったとコージーさんは話してくれました。
最初の応募ではものまねのモノマネと言われてしまいます。しかし次にチャレンジした時はオーディションを通過する事が出来ました。
7月30日(水) 「ものまねタレントとしての転機」
コージー冨田さんは、三重県の四日市のものまねのお店に出入りするようになり、いっそ仕事を辞めて四日市に移ろうとします。しかし「夢持って四日市に来るような奴おるか!」と言われて、東京へ行くことにします。
六本木のショーパブで、だれでもできるものまねでお客が爆笑しているのを見て、テレビとお客さんには違いがあることにコージーさんは気が付きます。新しいことを求められるテレビと、知っているギャグで笑うショーパブという違いがあるのだそうです。
ひょんなことからタモリさんを真似ることになったコージーさんは、カッコまで似せたらタモリさんになりきれることに気が付きました。それはあまりにもぴったりで、他の方のものまねが皆飛んでいってしまったとコージーさんは話してくれました。
7月31日(木) 「ものまねタレントとしての活躍」
コージー冨田さんはライブに力を入れています。ネタ半分、アドリブ半分でやるなかで、他の人とは違う見方をしてまねてみることで、より面白いものに仕上がるのだそうです。考えてみれば、子供の頃の読書感想文でほかの人と違う処で感動している子供だったと、コージーさんは振り返ります。
ものまねをするときは、その相手が乗り移ってくるのだそうです。面白いのは会ったばかりの人には影響されること、だからそのタイミングを逃さないようにしているのだそうです。
真似る相手に特徴的な部分を見つけたら、それにタイトルを付けてみるのだそうです。「ワンシーンを作品にする」そんな気持ちのものまねを、コージーさんは実演してくれています。
8月1日(金) 「今後について」
ものまねをしてると面白いのは、その相手をキャスティングできること。いたずら心でコージーエッセンスを効かせることができるのが面白いと、コージー冨田さんは話します。
そんなコージーさんの仕事以外で一番好きな遊びは「なぞかけ」。頭を使う遊びが好きなのだそうです。飲んでいても謎かけをはじめてしまうので嫌がられることもあるけれどと笑うコージーさんです。
これからのコージーさんは、全く違う世界で頑張ってみたいのだそうです。そしてもう一つ、ものまね番組の審査員をやりたいとも話してくれました。でも、その理由は結構辛口でした。
<プロフィール>
愛知県出身。タモリのものまねで一躍有名になる。バラエティ番組、映画、CMなどで活躍する。主な出演作品は、テレビ/日本テレビ『ものまねグランプリ』『ものまねバトル★クラブ』、TBS『オールスター感謝祭』、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした!』、映画『掌の小説』、CM『ウルトラクイズ風インフォマーシャル2007』、DVD『爆笑!ものまねチャンネル』ほか。他に笑福亭鶴瓶、島田紳助、板東英二、ルー大柴などレパートリー多数。第38回ゴールデンアロー賞芸能新人賞受賞。