終わりよければ・・・(放送終了)

6月23日~6月27日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、川崎麻世さん

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6月23日(月) 「子供時代の麻世さん」
京都生まれ大阪育ちの川崎麻世さんは、自称、正義のヤンチャ、友人がとても多い少年時代を過ごしたのだそうです。両親が小さい時に離婚していたので、麻世さんはお父さんを知らなかったのですが、30歳の時に思う処があってお父さんを探し出します。もう末期ガンだったお父さんと再会し、知らない親戚の中で喪主も務めた麻世さんは、会えてよかったとしみじみ話してくれました。おばあちゃんが虫歯で痛がっていた時、なんですぐに痛みを取ってあげられないのだろうと思った麻世さんは、歯医者さんになるために京大を目指しますが、関西のテレビ番組に西條秀樹さんのモノマネで出たらあまりに好評で、いつの間にか自分のコーナーができてしまいした。そしてこれがジャニーズ事務所の目に留まり、東京に行くことになります。

6月24日(火) 「アイドル・川崎麻世」
ちょっと東京に行ってくるという軽い気持ちで上京した川崎麻世さんはすぐにジャニーズの寮に入り、仕事を始めます。寮生活は楽しかったけれど、台本など覚えないといけないことがたくさんあって大変だったと当時を懐かしむ麻世さんです。アイドルとして、多くの番組に出るようになった麻世さんですが、大型新人がたくさんデビューした時だったので、とうとう最優秀新人賞をとることができませんでした。この挫折で強くしてもらったと麻世さんは話してくれました。同じ事務所からのたのきんトリオのデビューもあり、アイドルのままではいけないと思った麻世さんは、劇団四季のオーディションを受けます。ミュージカル俳優になるためでした。

6月25日(水)「ミュージカル俳優への道、カイヤさんとの出会い」
劇団四季のオーディションを受け、ミュージカル俳優となった川崎麻世さんは、今度は世界をめざし、「スターライト・エクスプレス」のワールドツアーのメンバーになります。この時、英語力の無さを実感していた麻世さんは、中学校の英語の教科書を丸暗記したり、外国人の話す英語の発音を書き留めたりして、英語力を磨いていました。奥さん、カイヤさんとの出会いはスターライト・エクスプレスのツアーが終わった頃に東京で開かれたマイケルジャクソンのパーティ。しつこくナンパされていたカイヤさんを助けたところからだそうです。その後うまく連絡の取れない麻世さんでしたが、六本木の路上でナンパされていたカイヤさんをまた助けた頃から風向きが変わり、毎日会って話すようになったのだそうです。

6月26日(木)「カイヤさんとの夫婦生活」
カイヤさんの妊娠がわかり、川崎麻世さんは仕事をなげうっての渡米を決意します。一番良い環境で生ませてあげたかったのですが、もちろん不安もありました。でも、無事子供が生まれ、パパ、一緒に頑張ろうねと、赤ちゃんに言われたように思えた瞬間、麻世さんから迷いは消えたのでした。その頃日本では「川崎麻世失踪」と騒がれていて、帰国時には、芸能レポーターが多数待ち受けていました。でも逃げずに堂々と子供を抱いて通ったら、「おめでとうございます」と逆に声援を受けることができたのだそうです。鬼嫁キャラとして有名な奥さん、カイヤさんは本当に怖いのだそうです。喧嘩は毎日、物は飛ぶ、車で突っ込まれたことまであったと、しみじみと麻世さんは話してくれました。

6月27日(金) 「これからの川崎麻世さん」
カイヤさんに手を焼いている川崎麻世さんですが、離婚する気は無いそうです。せっかく一緒になったのだからぎりぎりまで頑張りたいと話してくれました。カイヤさんには内緒でお子さんとは時々会っていると、麻世さんは笑います。このところ、麻世さんは舞台の仕事が続いています。8月にはGACKTさんとの芝居を控えていて、これが一番の楽しみだそうです。麻世さんはやりたいことだらけ、やりたいと思ったらできるだけすぐに行動するようにしています。そして良い役者になりたい、居るだけで良いよと言われるような光がある役者になりたいと、これからの事を話してくれました。

<プロフィール>
昭和52年に歌手としてデビュー、その後も俳優としてもTV舞台に活躍。
1983年に劇団四季の「CATS」出演を 皮切りに数多くのミュージカルに出演。
舞台俳優として注目を浴びている。