5月19日(月) 「よし!歌手になる!」
野球少年だった野村さん、高校までは順調に野球をしていましたが、無理して体を壊し野球を断念。サラリーマンにはなりたくなかったので、プロ野球がだめなら「歌手になる」とあっさりと方向転換。そのためにはということで高校を1年で中退、東京に出ます。ところが歌手になるための情報が何もない。生活のために新宿の靴屋さんでアルバイトを始めます。
5月20日(火) 「サンミュージックに所属、そしてデビュー!」
靴屋でアルバイトをしていたところ、当時のサンミュージックの相沢社長がスカウト。
名刺の裏を見たら森田健作さんの名前が。一度歌を聞かせてくれと言われて、事務所に行って歌ったら、その場で「契約しよう!」ということになりました。そしてデビュー「一度だけなら」という曲が大ヒット。もともとはクールファイブのアルバムの中の曲でした。ものすごくラッキーだったと野村さんは当時を振り返っています
5月21日(水)「 アメリカでミュージカルの勉強」
低迷期を迎えていた野村さん、アメリカに行って勉強してみたいと思っていたところ、事務所側から「ミュージカルの勉強してこい」と偶然にも言われてすぐその話に乗ります。語学学校に行き、ミュージカルの学校にも行きました。入学テストの時にビリージョエルの「素顔のままで」を歌って合格したのでした。このころの経験が自分の表現力に大きな影響を与えたそうです。
5月22日(木) 「水戸黄門 柘植(つげ)の飛猿」
水戸黄門の柘植の飛猿役に抜擢され、野村さんは再ブレイクします。2代目黄門の西村晃さんには仲人までしてもらったそうです。西村さんのほうが結婚式では緊張してしまい、がちがちだったそうです。飛猿の演技はセリフではなく、表情や動きで表現することが多いと感じている野村さん。体を鍛えていることもあり、筋肉番付などにも出演していました。そしていま、なんと腕相撲で世界を目指しているというのです
5月23日(金) 「アームレスラー 野村将希」
ある番組がきっかけで腕相撲に挑戦することになった野村さん、6月のアジア大会に出場が決まりました。やるからには世界チャンピオン目指したいと意気込みを語っています。還暦過ぎてからの自分に期待をしています。90を過ぎても全力でスポーツができる自分を目指したいそうです。
<野村将希>
福岡県北九州市生まれ、兵庫県尼崎市育ち。1970年、レコード『一度だけなら』で芸能界デビュー。1979年にシカゴYMCAに留学し、1981年に帰国。以降、舞台、テレビドラマを中心に活動。1987年~1989年にはTBS『水戸黄門』に飛猿役で出演し、一躍有名に。2000年からは音楽活動も精力的に再開。2003年には『スポーツマンNo.1決定戦』に出場し注目を集めた。ドラマ・バラエティー・映画・舞台と幅広く活躍。