終わりよければ・・・(放送終了)

4月14日~4月18日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、俳優の佐藤B作さん

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4月14日(月)「故郷・福島」 
B作さんは福島の飯坂温泉の出身。実家は青果店。小学校4年から地元の小学校で演劇部に所属。部長もしていました。顧問の女性の先生が厳しくて居残り練習をよくさせられていたそうです。東日本大震災のあと、田舎に帰ることに対して休まるどころか考えさせられることが多くなってしまったと語るB作さん。地元に残る友人たちとの会話を紹介してくれました。

4月15日(火)「東京」 
外交官であるとか商社マンなど海外に行く仕事がしたいということで、東京の大学を受けたB作さん。早稲田大学商学部に入学します。上野駅に着いたとき「空気がにおう」と感じたそうです。最初の1か月はまともに学校に行っていたが1か月でその生活も崩壊。ジャズ喫茶に入り浸ることになります。その喫茶店で見たドラマを見て「役者になろう」と思ったそうです。その時入った演劇サークルに意外な人がいたのでした。

4月16日(水)「演劇」 
文化放送の三木社長との学生時代のエピソードを披露してくれたB作さん。
プロの演劇集団をいくつか受けたが全部落ちてしまいました。アングラ劇場の自由劇場に裏方として入ります。半年裏方やったらレッスンを受けさせるということで頑張りました。その甲斐あって卒業公演の時には主役の座を射止めたのでした。その後、もっと面白いことをやりたいと思って自分で劇団を立ち上げました。それが東京ボードビルショーだったのです。

4月17日(木)「テレビ」 
テレビに出られる俳優になりたかったB作さん。旗揚げした東京ボードビルショーの劇団員の中に山口良一さんがいました。萩本欽一さんの「欽ドン」に出演することになったのです。お礼のあいさつをすることになり、萩本さんと面会。その時のしぐさが面白かったらしく、別の萩本さんの番組「週刊欽曜日」にお声がかかったのでした。萩本さんの演技について、熱く語っていただきました。テレビに出た後の田舎の反応の話は笑えます。

4月18日(金)「人生」 
2007年に胃がんが見つかり、手術をしました。それからは楽しい人生を送っていこうと考えを変えたそうです。前より酒を飲むようになったそうです。悔いのないように楽しい人生、やりたい芝居をしてうまい酒を飲む。今は日本酒にはまっているそうです。息子さんの佐藤銀平さんに役者になりたいといわれて正直うれしかったそうです。フジテレビのドラマの宣伝もしていただきました。

<佐藤B作>
1973年、劇団東京ヴォードヴィルショー結成。1978年、同劇団として第15回ゴールデンアロー賞芸能賞(新人賞)受賞。1986年、舞台『吉ちゃんの黄色いカバン』で紀伊國屋個人賞受賞。1999年『戸惑いの日曜日』で名古屋演劇ペングラフ賞個人賞受賞。2004年、平成16年度第1回喜劇人大賞特別賞受賞。その他の主な出演作品に、映画『マルサの女』『息子』『四十七人の刺客』『ラヂオの時間』、舞台『居酒屋ゆうれい』『國語元年』『江戸の花嫁』、テレビ/NHK『陽炎の辻』、NHK大河ドラマ『新撰組!』、TBS『こちら本池上署5』、CF『小林製薬「トイレその後に」「鼻スースークール」他』『レディースアートネイチャーピュアライン』他多数。特技は三味線。