終わりよければ・・・(放送終了)

3月3日~3月7日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、歌手の小柳ルミ子さん

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3月3日(月) 「母からの英才教育」
1952年、福岡生まれのルミ子さん。お母さんから勧められてピアノやバレエ、歌など8種類の習い事をしていました。目指すはもちろん芸能界。中学を卒業して当然のように宝塚音楽学校に入学しましたが、ルミ子さんは成績が良かったので委員長を任され、年上のクラスメートも統率していかなくてはならない立場に・・・。

3月4日(火) 「『私の城下町』そして『瀬戸の花嫁』」
天下の渡辺プロダクションの社長さんの「宝塚を首席で卒業したらナベプロに入れてあげる」という約束通り、ルミ子さんは音楽学校を首席で卒業、ナベプロ入りしました。満を持してのデビュー曲は「私の城下町」。和の曲調に最初ルミ子さんはとまどいを覚えたそうですがこれが大ヒット。そして日本のスタンダード曲ともいえる「瀬戸の花嫁」へと続きます。

3月5日(水) 「映画女優として」
歌手から少しシフトチェンジしようと、ルミ子さんが選んだ道は「映画」でした。萩原健一さんと共演の「誘拐報道」。事務所の反対を押し切って汚れ役の出演を決めた結果、作品の評価も上々。そして出演2作目があの「白蛇抄」。若山富三郎さん、杉本哲太さん等と共演で激しい濡れ場もある話題作の主演で、見事日本アカデミー賞主演女優賞に輝きました。

3月6日(木) 「辛かった2年間」
映画出演でイメージチェンジを果たし、歌手としても「お久しぶりね」や「今さらジロー」がヒット、歌手と女優の両方で活躍の範囲を広げていたルミ子さんでしたが、結婚や事務所からの独立問題などあり、2年のあいだ表舞台から遠ざかりました。誰もが敵に見え、外出もできず、あらぬことばかり考えていたルミ子さんに、福岡のお母さんから1本の電話が・・・。

3月7日(金) 「これからの小柳ルミ子さん」
日本で一番、ミュージカルを愛し、理解しているのは自分だと胸を張るルミ子さん。舞台で大怪我を追っても痛みに耐えて楽日まで演じ抜いたこともありました。今後はミュージカル舞台のスタッフやアドバイザーとしても活動したいそうです。「誰もが歌いやすい、いわゆる歌謡曲」という新曲のお話も伺っています。

<小柳ルミ子>
1970年、宝塚音楽学校を首席で卒業し、NHK連続テレビ小説「虹」で女優としてデビュー。1971年4月25日「わたしの城下町」で歌手デビュー。この曲が160万枚の大ヒットとなり日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。以降「お祭りの夜」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)など、いずれも50万枚以上のセールスを記録し、70年代を代表するアイドルとして活躍。また「星の砂」「お久しぶりね」「今さらジロー」など多数のヒット曲を輩出。 女優としても、映画「白蛇抄」での迫真の演技により日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。映画・テレビ...女優として、歌手として、コンサート・ディナーショー...を全国で展開中!