2月17日(月)「 熊谷(くまがい)家の人々 」
お父様の「自分は生まれ故郷の福岡を離れたくないが、娘たちには東京の教育を受けさせたい」という信念から、子供の頃はお父様と別々に暮らしていたという松田美由紀さん。
月曜日は、「バリバリの九州男児で、ちょっと怖かった」というお父様、そして、お姉さまである熊谷真実さんのエピソードを中心に伺っています。
2月18日(火)「 北の国から 」
NHKの朝ドラでヒロインを務めていた、お姉さまである熊谷真実さんに刺激を受け、自身でも女優のお仕事を始めた松田美由紀さん。数々の印象的な役柄の中から、二日目は、野村邦丸の独断と偏見で "TVドラマ「北の国から」の吉本つらら" 役にスポットを当てております。撮影中に、広大な北海道で迷子になってしまった事件の顛末、お聴き逃しなく!
2月19日(水)「 私はネットガール 」
水曜日の前半は、松田美由紀さんが女優という仕事について、「皆さんの感情を代弁すること」と熱く語って下さっている一方、後半は、「私はインターネットが得意」という話題をきっかけに、話がおかしな方向に展開してしまいます。
どうやら、松田美由紀さんの触れてはいけないスイッチをONにしてしまったようで、とんでもないエピソードが明らかになります!
2月20日(木)「 思いついたら0.5秒で動き出す 」
『松田優作全集』のアートディレクション手掛けたことをきっかけに、女優以外のさまざまな表現方法に常に挑戦し続けている松田美由紀さん。近年では、写真を撮ったり、音楽フェスを開催したり...。
木曜日は、「思いついたら0.5秒で動き出す」を信条としているという、松田美由紀さんの前向きな姿勢の理由に迫ってみました。
『松田優作全集』を手掛けた際には、専門学校に入って写真やデザインを勉強し、テレビ局からの資料の発掘も自ら行うなど、4年かけて松田優作さんの真実に徹底的にこだわったそうです。
2月21日(金)「 戯曲 『フローズン・ビーチ 』 」
「いろいろなことを次々と吸収していかないと将来が不安でしょうがない」という松田美由紀さん。そんな松田美由紀さんが、今、全力で取り組んでいるのが、戯曲『フローズン・ビーチ』です。
最終日は、この戯曲の見どころなどをお話していただきました。
膨大な台詞の量で、演じている4人の女優さんたちはかなり苦労されていらっしゃるとのことなのですが、見る側としてはとても面白い仕上がりになっているようです!
<松田美由紀>
1979年女優デビュー。演技の幅広い個性派女優であるとともに『松田優作全集改訂版』(幻冬舎)のアートディレクションを手がけるほか、写真家として写真集『私の好きな孤独』(リトルモア)他、多数活躍している。エグゼクティブプロデューサーとして、映画『SOUL RED松田優作』を製作。また、映像監督として短編『月刊 早乙女太一KOKUHAKU』などを製作。環境問題にも積極的に取り組み、発展途上国の孤児たちへの支援、自殺防止問題や、東日本大震災以降は、環境問題を考える「ロックの会」の発起人として、エネルギーシフトに取り組んでいる。Twitterで「愛の言葉」を贈り話題に。半年でフォロワーが数万人を超え、特に若い世代から強い支持を得ている。
ゲストは、歌舞伎俳優の片岡孝太郎さん。
2月17日(月) 「 子供の頃の話 」
片岡孝太郎さんのお父さんはやはり歌舞伎俳優の、15代目片岡仁左衛門さん。350年続いた京都の梨園の一族に生まれた孝太郎さんですが、小さいときはタクシーの運転手さん、電車の運転手さんなどになりたかったのだそうです。
歌舞伎の世界に進むことをお父さんに伝えたのは中学三年生の時。普通とは違う家に生まれたのだから、この環境を活かしてみようとしてのことでした。
孝太郎さんの家が普通の家と違うと気がついたのは日曜日にお父さんが家に居なかったこと。仕事が休みになると幼稚園を休ませてでも遊園地に連れて行ってくれる子煩悩なお父さんでしたが、その頃から練習はとても厳しかったそうです。
初舞台は5歳のとき、孝太郎さんはこのときを鮮明に覚えているのだそうです。おじさんに当たる中村芝翫(しかん)さんのいたづらまで・・・・。
2月18日(火) 「 女形としてのスタート 」
歌舞伎俳優の道を進み始めた孝太郎さんは、最初は他の役者さんと同じように立役(たちやく)、女形の両方を演じていました。しかし芝翫(しかん)さんの、体つきが女形にちょうど良いというアドバイス、そして自身の背が低いことなどを考えて、孝太郎さんは女形の道を進み始めます。家に女形が居ないので、型は自分で作らなければならず、孝太郎さんは練習には苦労し、文楽を参考にしたり、玉三郎さんに教えてもらったりしました。
一度演じた演目は、次には150%、200%の力を出さないと、お客さんには納得してもらえないのだそうです。覚えが悪いからと謙遜しつつ、孝太郎さんは他の人の3倍ぐらいお稽古をしていることを話してくれました。
2月19日(水)「 親子共演/大切にしていること 」
片岡孝太郎さんはいつからお父さんと共演するようになったかは良く覚えていないのだそうです。共演で覚えているのは20台の半ばの事。お父さんと二人椀久(ににんわんきゅう)を踊ったら、顔と顔がキス寸前にまで近くなったことを笑いながら話してくれました。
十代終わりごろ、舞台上の上役の目ではなく、親の目で自分のことをみているお父さんを感じて"はやくこれから脱しないと"と思ったと孝太郎さんは話してくれました。後にうまく踊れて、お父さんから「孝太郎さん」とさん付けで呼ばれたときはとてもうれしかったのだそうです。
女形はあくまで男がやるもの、女性にはできないと、孝太郎さんは言います。流れていくのではなく、きちんと形を作っていく、これが女形だと孝太郎さんは話してくれました。
2月20日(木)「 歌舞伎以外のお仕事 」
孝太郎さんは歌舞伎以外の世界でも活躍していますが、実は19歳のときに、もうスピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」に出演しています。ギャラ1億円に惹かれてオファーを受けた孝太郎さんですが、実際のギャラは3桁少なかったと笑いながら話してくれました。
昨年公開の映画、「終戦のエンペラー」では孝太郎さんは昭和天皇を演じています。オファーがあったときには平成中村座の舞台が決まっていたのですが、中村勘三郎さんの「行って来い!」の一言で仕事を受けることに決めます。
この映画で共演したのはトミー・リー・ジョーンズさん。なんとこの人は歌舞伎が大好きで、「君と仕事ができて良かった」と向こうから話しかけてくれました。孝太郎さんはとてもうれしかったのだそうです。
2月21日「 最新作と今後について 」
片岡孝太郎さんの最新映画は「小さいおうち」。新歌舞伎座のお披露目のタイミングでオファーがあったため、孝太郎さんはこの映画へ出演するかどうか悩みますが、結局映画に出演することになりました。
この映画は山田洋二監督の作品です。この監督は恐いと聞いていた孝太郎さんはいろいろと策を練りますが、出来上がった作品を見ると、山田監督でなければできない作品に仕上がっている、やはり映画は監督で違うと孝太郎さんは思ったのだそうです。
孝太郎さんは、求められる役者になれというお父さんの言葉を大事にしています。自分は求められればどこにでも行きますと、片岡孝太郎さんはきっぱりと話してくれました。
<片岡孝太郎>
1968年1月23日、十五代目片岡仁左衛門の長男として生まれる。73年7月、歌舞伎座「夏祭」の市松で片岡孝太郎を名のり初舞台。新世代の若女方として、江戸・上方の枠を越えてめざましい活躍を見せる。94年名題昇進。関西・歌舞伎を愛する会奨励賞、眞山青果賞、大阪舞台芸術奨励賞など受賞。