終わりよければ・・・(放送終了)

ジュリエット・グレコ「ジャック・ブレルを歌う」

『音楽マスターピース』では、シャンソン評論家で翻訳家の大野修平さんに

出演していただきました。

 

大野修平さん.jpg

 

今回は、1月22日に日本盤が発売された、現役最高峰のシャンソン・シンガー、

ジュリエット・グレコ(86歳)の最新アルバム「ジャック・ブレルを歌う」について

お話し頂きました。

 

【ジュリエット・グレコとは?】

1927年、フランス・モンペリエのお生まれで、第二次世界大戦中、対ナチスの

レジスタンス活動に身を投じ、祖国解放後にパリで歌手活動を開始されます。

長い黒髪をなびかせ、黒ずくめの衣装で歌うのがトレードマークとなっており、

哲学者「ジャン・ポール・サルトル」や前衛的な作家・詩人「ボリス・ヴィアン」ら、

パリの知識人たちとも交流を持ちます。50年代からは女優としても活躍され、

『恋多き女』『陽はまた昇る』ほか多くの作品に出演。また、プライベートでは

"恋多き女性"としても知られ、ジャズの帝王「マイルス・デイヴィス」と恋仲に

あったり、二度の結婚を経験するなど、その生き方も注目されました。そして、

去年、最新アルバム『ジャック・ブレルを歌う』を発表され、その日本盤が1月

22日にリスペクトレコードよりリリースされました。

 

【ジャック・ブレルとは?】

1929年にベルギーで生まれたシャンソン歌手で、1960年代のシャンソン界に

おいて、「ジョルジュ・ブラッサンス」、「レオ・フェレ」と並び、戦後シャンソンの

3大男性歌手に数えられた人気歌手。歌手のほか俳優、映画監督など多彩に

活躍する大スターだったが、1973年に44歳の時に一線を退き、その後、1977

年に本格的に活動を再開したが、翌1978年にこの世を去りました。

 

【ジュリエット・グレコとジャック・ブレルの関係性】

1954年、パリの映画館ゴーモン・パラスで、無名の駆け出しの歌手であった

ブレルは、映画の幕間に余興歌手として出演していたが、誰もブレルの歌を

聞いていなかった。しかし、そんな中、唯一グレコはその歌に大変感動した。

ちなみに、エディット・ピアフ、そしてグレコを見いだしたプロデューサーである

ジャック・カネッティもその場に同席していた。そして、そこでブレルが歌った

「OK悪魔」をグレコが気に入り、歌う事となる。そこから1978年にブレルが息を

引き取るまで続く2人の深交がスタートする。ブレルは1950年~1960年代の

シャンソン界に於いて、押しも押されもせぬ大歌手になって以降も、グレコには

多くの歌を書き続けた。 そして、ブレルが肺がんを発病後、1997年に遺作と

なったアルバム『偉大なる魂の復活(原題:遙かなるマルケサス諸島)』のリハ

ーサルをグレコの自宅で行うなど、2人の親密な間柄は長きに渡り続いた。

 

【ジュリエット・グレコの最新アルバム「ジャック・ブレルを歌う」について】

ブレルの35周忌に当たる2013年にパリで録音され、グレコの現在の夫であり、

ブレルの生涯に渡る音楽パートナーでもあった、ピアニスト兼作曲家のジェラール

・ジュアネストと共に作り上げた、ブレル・トリビュート・アルバム。グレコの「今こそ

ブレルに、あなたを愛していたことを告げる時だと思った」というコメントにある様に、

まさに満を持して制作された渾身の1枚であり、全曲ブレルの作品で構成された

アルバムは本作が初めてとなる。録音はオーケストラとグレコの歌を同時に録音

する、一発録りで行われ、それが今作の大変エモーショナルな歌唱に繋がった。

 

そんなアルバム「ジャック・ブレルを歌う」の中から、今回は1915年に発表された

シャンソンの名曲で、パリの橋の下に集うさまざまな人に対する温かいまなざしを

印象的に歌い込んでいる「パリの橋の下」のほか、1962年の曲でブリュッセルが

サイレント映画や市電でにぎわっていた時代を舞台にしている「ブリュッセル」、

1959年の曲で、ブレルの作品の中でも、最も世界的ヒットとなったシャンソンの

「行かないで」、1967年の曲で二十年来の恋人たちの様々な心の機微を歌い

込んでいる「懐かしき恋人たちの歌」という4曲をご紹介いただきました。

 

 

今日、ご紹介いただいた音楽は・・・

1.パリの橋の下 / ジュリエット・グレコ

2.ブリュッセル / ジュリエット・グレコ

3.行かないで / ジュリエット・グレコ

4.懐かしき恋人たちの歌 / ジュリエット・グレコ

以上の4曲でした。