終わりよければ・・・(放送終了)

1月6日~1月10日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、女優の山口果林さん

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1月6日(月)「 わんこたたき 」
戦後のベビーブーム世代、5人姉弟の四女としてお生まれになった山口果林さん。当時は「家督として男の子が欲しい」という時代だったことから、幼少時の山口果林さんは「家族からあまり注目されてないなぁ...」と感じていたそうです。そのせいかどうかは定かではありませんが、性格も少々難あり...だったとか。
初日の月曜日は、読書と紙芝居が好きだったという、山口果林さんの子供時代を振り返ります。
タイトルの「わんこたたき」の意味については、放送でご確認下さい!

1月7日(火)「 安部先生との出会い 」
小学生の時、自由にお芝居をやらせてくれたアベ先生と出会ったことが、女優を志すきっかけになったという山口果林さん。そして、その後、大学の演劇科で出会ったのが、安部公房先生。
火曜日は、二人の「あべ先生」にスポットを当てます。
安倍公房先生と「先生と生徒の関係」から「男と女の関係」に至った経緯もお話して下さいました。

1月8日(水)「 繭子ひとり 」
大学を卒業して阿部公房スタジオの創立に参加後、ちょっとした勘違いで受けたNHK朝の連続テレビ小説「繭子ひとり」のオーディションでヒロインに抜擢された山口果林さん。一度は「ドラマへの出演辞退」という、考えられないような仰天ハプニングもあったものの、最後まで無事に主役を務めあげた撮影の最終日...ヒロインの目に涙はありませんでした。その時、山口果林さんの胸に去来していた想いとは?
水曜日は、安倍公房さんとのお付き合いを隠しながら撮影していたという、ドラマ「繭子ひとり」でのエピソードを中心にお話を伺っております。

1月9日(木)「 芸名 『 山口果林 』 に込めた想い 」
芸名である『山口果林』という名は安倍公房さんが付けてくれたものだそうです。どんな名前がいいのか...安倍公房さんがいろいろと思い悩んでいる様子は、昨年に発売された山口果林さんの自伝「安倍公房とわたし」の見返しでも窺い知ることができます。
木曜日は、このページを実際に見ながら、安倍公房さん当時の心境を勝手に推測しております。
ある事柄を発見した、私、野村邦丸。安倍公房さんとの距離が一気に縮まりました。

1月10日(金)「 安倍公房とわたし 」
最終日は、安倍公房さんを失った山口果林さんが、自伝「安倍公房とわたし」を書かれるまでの心の移り変わりを辿ってみました。
一度はどん底まで落ち、「もう死んでもいい」とまで思ったという山口果林さん。再び前へ進み始めるまでに、さまざまな想い・葛藤があったようです。

<山口果林>
1947年、東京都生まれ。桐朋学園大学演劇科を卒業後、俳優座入団。桐朋学園時代より安部公房氏に師事。芸名「果林」は安部氏が名付けた。1970年、森川時久監督『若者の旗』に初出演しデビュー。1971年、NHK朝の連続テレビ小説『繭子ひとり』でヒロイン役を務める。俳優座、安部公房スタジオを中心とする舞台、『砂の器』ほかの映画、多数のテレビドラマに出演している。