12月30日(月)「デビューまでの道のり」
ツートン青木さんは神奈川県の真鶴の生まれ、典型的な漁師さんの家だったそうです。16歳でバンドを組み、コンテストに出て地区予選準優勝を2回しますが、記念レコーディングに行かず、結果としてツートンさんはデビューのタイミングを逃してしまいます。
国鉄の職員を経て、ダンプカーの運転をツートンさんは始めます。運転をしながらいろいろなところで唄を歌うツートンさんでしたが、その事を嫌がる奥様とは離婚してしまったのだそうです。しかしある日、荷台を上げたままダンプカーを走らせたツートン青木さんは、なんとダンプの荷台を歩道橋にぶつけてしまいます。
12月31日(火)「モノマネタレントとして活躍」
ダンプの荷台を歩道橋にぶつけたツートン青木さんはたくさんの借金を背負ってしまいます。でも、テレビののど自慢番組に出たり、モノマネ番組に出たり、そして、営業でステージに立つようにもなり、少しずつタレントとしての仕事は増えていきます。2年間二足の草鞋を履いたのち、ツートン青木さんはプロとしてやっていく決心をつけました。
息子さんの、青木隆治(りゅうじ)さんもモノマネをしています。ツートンさんは歌手にしたかったけれど、周りにのせられてしまったようだと話してくれました。でも、今は息子さんの芸を認めていて、息子さんのモノマネから学ぶところもあるのだと話してくれました。
1月1日(水)「火事の話/今後について」
プロとして一人立ちしたころ、ツートン青木さんは火事に逢ってしまいます。貰い火事で家財道具一切が消えてしまいますが、同時にお子さんの思い出も消えてしまった、これが一番悲しいと話すツートンさんです。後に東北の皆さんが津波で同じように一切合財を失ってしまった事を知ったツートンさんは、コロッケさんと避難場所に飛んでいきます。何もない、真っ暗な体育館でやった芸が忘れられないのだそうです。
今年、ツートンさんは曲を出そうと思っています。堀江淳さんに作曲してもらった曲「サイン」を初披露してくれたツートンさんでした。そして今は、これまで滅茶苦茶だった分、がんばりたいのだそうです。明日の為になることを少しづつやっていきたいと言うツートンさんでした。
<ツートン青木>
神奈川県出身。
本名は青木 努(あおき つとむ)。息子の青木隆治もものまねタレント。
国鉄職員、ダンプカー運転手を経て、ものまねタレントとなる。
美空ひばりを中心とする歌唱によるモノマネ(いわゆる歌まね)がメインだが、古畑任三郎に扮した田村正和のモノマネも得意である。ただし、普通の声で喋る時は照れる。