終わりよければ・・・(放送終了)

9月30日~10月4日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、蜷川幸雄さん

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9月30日(月) 「蜷川幸雄の少年時代」
川口の洋服屋の息子として生まれた蜷川幸雄さん。
高校に入るまでは典型的な優等生だったのですが、名門進学校の授業がつまらないとよくサボり、落第してしまったそうです。当時から文学や芸術などが好きだった事から、芸術への道を志すのですが...。蜷川さんの少年時代のお話をお聴きしました。

10月1日(火) 「演劇の世界で俳優デビュー」
「なにもやる事が無いから...」と、劇団「青俳」に応募し合格した蜷川さん。
しかし、芝居は下手なのに生意気だったことから、「貴族俳優」と周りからは言われていたそうです。ある時、演出家になりたいと一念発起し、劇団の女優だった奥様や石橋蓮司さんなどと一緒に新しい劇団を旗揚げするのでした。俳優デビューした当時の「蜷川幸雄」についてお話いただきました。

10月2日(水) 「演出家 蜷川幸雄、デビュー」
1965年「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビューした蜷川さん。
小劇場での演出だったが会場に入りきらない程のお客さんに手応えはあったそうです。
その後、大劇場で上演される「商業演劇」の道に進むのですが当時はアングラ劇団ブームで商業演劇を行く蜷川さんに対して、あまり良いイメージはなかったんだとか。
そこで蜷川さん、ナメられてたまるかと、稽古場で物を投げ、怒鳴り散らす。
それが鬼の演出家、蜷川幸雄が生まれた瞬間でした。演出家・蜷川幸雄についてお話をお伺いしました。

10月3日(木) 「蜷川幸雄の演出論」
商業演劇の世界で活躍する一方、ギャラが安く食べていけないので役者の仕事をし、演出の仕事がしたく無い時は主夫をしていたそうです。そんな蜷川さんの演出で多くの俳優が大きく羽ばたいていったのですが、みんなある共通点があるそうです。その共通点とはいったい...。
蜷川さんのキャスティング論についてお話いただきました。

10月4日(金) 「パワフルに活動する蜷川幸雄」
普通とは違う演劇を作りたいと2006年に55歳以上の方達で結成した高齢者演劇集団「さいたまゴールドシアター」。その活動内容だったり、そこで学ぶ事が多いんだと話していただけました。
また、現在、3本の舞台を演出されており、その中でこれから始まる舞台「唐版、滝の白糸」についてお話をお聴きしました。


<蜷川幸雄>
1935年10月15日、埼玉県川口市生まれ。
55年に劇団青俳に入団し、68年に劇団現代人劇場を創立。
69年『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。72年演劇集団「櫻社」結成、74年同劇団を解散後、『ロミオとジュリエット』で大劇場へ進出、以後日本を代表する演出家として国内外の現代劇から近松門左衛門、シェイクスピア、ギリシャ悲劇など幅広い作品を次々と世に送り出している。
また、83年の『王女メディア』ギリシャ・ローマ公演を皮切りに、毎年海外公演を行い、その活動は広く海外でも注目され高い評価を得ている。
彩の国さいたま芸術劇場ではシェイクスピアの全作品を上演する「彩の国シェイクスピア・シリーズ」を敢行中。
88年『近松心中物語』の第38回芸術選奨文部大臣賞をはじめ受賞歴多数。
ロンドングローブ座のアーティスティックディレクターの一人でもある。
2006年彩の国さいたま芸術劇場で55才以上の演劇集団「さいたまゴールド・シアター」創設。2009年若手俳優育成プロジェクト「さいたまネクスト・シアター」開始。