終わりよければ・・・(放送終了)

9月2日~9月6日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、草刈正雄さん

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9月2日(月) 「福岡で生まれ育った草刈少年」
お父さんは生まれる前に亡くなっていたので、ハーフの草刈正雄さんは福岡の母子家庭で育ちました。狭い家で一緒に住んでいたお母さんはしつけにはとても厳しかったのですが、勉強についてはあまりうるさくなかったそうです。草刈さんはアメリカのコメディ仕立てのホームドラマが好きでした。内容もさることながら、そこに出てくる広い家、裕福なアメリカの家庭をTVを通して見ていたのだそうです。
高校は定時制、軟式野球をやってからスナックでバイト、昼も仕事をしていた草刈さん、仕事は辛くなかったそうですが、その頃憧れていたのは毎日スーツを着る生活でした。

9月3日 (火) 「モデルデビューのきっかけ」
17歳の時、草刈さんはモデルになることを勧められ、上京します。モデルの仕事はありましたが、女性とあまり付き合った事の無く、女性モデルと手をつなぐときに手が震えてしまうなどの失敗もあったそうです。
その後、資生堂を担当しているプロデューサー、杉山さんによって「MG5」のキャラクターに抜擢されます。この時の草刈さんは、お母さんのいる九州でも見られるCMに出ることができたのが一番うれしかったのだそうです。

9月4日(水) 「俳優デビューから、国民的スターに」
19歳の時、草刈さんは自動車で人身事故を起こしてしまいます。仕事が手につかず、高崎に住み着いて毎日お見舞いをしていた草刈さんでしたが、この姿が報じられたことで篠田正浩監督の映画「卑弥呼」に抜擢されます。
ドラマ華麗なる刑事では、田中邦衛さんと共演します。ずっこける邦衛さんと、ロス帰りという設定の草刈さんのミスマッチを見せるはずのドラマでしたが、草刈さんはついつい邦衛さんと一緒にずっこけてしまいます。プロデューサーには申し訳なかったと草刈さんは回想します。そして、なんとこのドラマはインタビューア野村邦丸のカーライフにも影響を及ぼしていたのでした。 

9月5日(木)  「大人の俳優への脱皮」
一時はやる気をなくしていた草刈さんですが、映画「復活の日」では主役を務めます。
世界中の一流俳優が出ている大作に出られたのは役者冥利に尽きると、話してくれましたが、撮影は過酷で、この撮影ではヘリが落ち、船が座礁しと、何度も危ない目にあったのだそうです。
のちに草刈さんは舞台に立ちます。映画で言えば2時間ワンシーンノーカットである舞台に立つことはとても怖かったのだそうです。

9月6日(金)  「これからの草刈正雄さん」
 「自分は時代劇には向かない」と思っていた草刈さんですが、実際に大河ドラマなどに出てみると、とても自分に合っていたのだそうです。諭す役が多いけど、本当は自分が諭される側なんだと草刈さんは笑います。
 下の娘さんがお芝居をやりたいと言ってきたときは、まだ早いなと思っても泣かれて負けてしまった草刈さん、ダンスを極めたいので芸能の仕事もしたいと上の娘さんに言われてからは、失敗しないかなとドキドキしているのだそうです。今はお芝居が楽しくて仕方がないと草刈さんは言います。バックグランドが無かったからネガティブになりやすかったけど....と最後までハニカミながら話してくれました。


<草刈正雄>
福岡県出身。俳優としてTV・映画・CMなどで活躍。主な出演作品に、映画『卑弥呼』『火の鳥』『くまちゃん』『0093 女王陛下の草刈正雄』、フジテレビ『アタシんちの男子』『トリプル捜査線』『グッドモーニング』、NHK『坂の上の雲』『ROMES/空港防御システム』『篤姫』、TBS『冗談じゃない!』『白い闇』、CM『資生堂』『富士通「らくらくホンプレミアム」』『東芝』、舞台『ミー&マイガール』『越路吹雪物語』『マイ・フェア・レディ』など多数。