終わりよければ・・・(放送終了)

7月1日~7月5日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、木野花さん

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7月1日月曜日 「子供のころの話」
青森で育った木野花さん。すごく甘やかされて育ったようです。
都会から田舎の小学校に転校すると断然進んでいるので「超優等生」になっていました。
成績はオール5。
しかし、クラスの代表で何かをやろうとしたりして野心を持つと本番直前に具合が悪くなったりしてドタキャンに。悔しい思いもしたそうです。

7月2日火曜日 「大学生から美術の先生へ」
将来は、自分に過度の期待をかけるとだめなんだなと気づいて美術の道に。
大学の美術部ではモデルになってくれる女性がいなくて、お風呂屋さんを物色。
結局友達同士でモデルになって裸婦像を卒業制作を出したら裸婦を出したのはその二人だけだったそうです。その後、中学の美術の先生に。
生徒との関係よりも教師同士の関係に疲れ体調を崩してしまいます。

7月3日水曜日 「東京に出てきて演劇を」
演劇が面白そうということで上京。面白くてどんどんのめりこんでいきます。
でも演劇界も男性が優位。女性の意見がなかなか通らない。ということで女性だけのグループを結成。
これが成功して評判になります。
十数年の後、新しい世界を求めて青い鳥を退団。演出に力を入れていきます。

7月4日木曜日 「演劇の楽しさ」
自分の演技に限界を感じていて、演出のほうに力を入れていた木野花さん。
女優をやめようと思っていたら劇団 新感線の主役に抜擢。
自分のふがいなさに奮起した木野花さん。50代になって役者業に本気を注入します。
映画スィングガールズについても語って下さってます。

7月5日金曜日 「台本が待ち遠しい「あまちゃん」」
朝の連続ドラマに出演中の木野花さん、撮影中から、台本が待ち遠しいほど楽しい撮影。
台本が面白い。これがヒットしなかったら、役者の責任だ!と感じたそうです。
ほかの役者のみなさんとも自然な距離感で過ごしているそうです。
撮影が終わるのが寂しいとも感じているそう。そのほか舞台のお話などについても伺いました。

<木野花>
弘前大学教育学部美術学科を卒業後、中学校の美術教師となるが、1年で退職、上京して演劇の世界に入る。1974年に東京演劇アンサンブル養成所時代の仲間5人と、女性だけの劇団「青い鳥」を結成。
翌年に旗揚げ公演を行い、80年代の小劇場ブームの旗手的な存在になる。
86年、同劇団を退団。
現在は、女優・演出家として活躍中。