4月8日月曜日 「苦しかった子供時代」
京都生まれの九里さん。父は戦争、母は九里さんを生んだ後なくなり、祖母と伯母に育てられました。吉田竜夫、健二、九里さんの3兄弟は苦しい子供時代を過ごします。兄の竜夫さんは絵の天才といわれ、17歳ぐらいから挿絵師として働いていました。九里さんも近所のお寺の地面に夢のある絵をかいていました。それはあたかも記念写真のようで、必ず自分の絵をを書き込んでいたのだそうです。
4月9日火曜日 「東京進出 九里一平誕生」
兄と同じ挿絵師を目指して兄のところを頼りに上京。手伝ってくれた友人から「お前はクリクリしているから九里でいけ」という話になりペンネームになったのだそうです。
その後、貸本の漫画を描いたりしているうちに東映からアニメーションの制作依頼の電話がかかってきたのでした。
4月10日水曜日 「マッハGOGOGO」
東映の作品を無我夢中で作った吉田三兄弟。とにかくやってみよう。でも絵のうまさはだれにも負けないという心意気で宇宙エースを制作。その後、マッハGOGOGOを制作。デザインはモチーフもなく、全くのオリジナル。その後、TOYOTAが展示用として実車を作ったりしたそうです。
4月11日木曜日 「みなしごハッチへの思い」
ペットや動物、昆虫も大好きな九里さん。高度成長時代に昆虫採集がブームになりましたが、その時、昆虫を擬人化したら、子供たちが標本を作製のピンを刺すときにいろいろと思いを巡らせてくれるのではないか、そして公害問題なども取り入れらると思い、みなしごハッチが生まれたのでした。タツノコプロの社長を退いた思いについても語っていただいています。
4月12日金曜日 「これからの九里一平」
タツノコプロを退いたあと、チャレンジしたいのは1枚の絵で何かを訴えられるものを書きたい。無から有を生むことの楽しみは何よりも楽しいと語る九里さん。九里一平さんの作品集がこのたび初めて出されましたが、これは布石で、次に新しいものを出したいと考えてますと制作意欲がますます盛んな九里さんでした。
<九里一平>
吉田竜夫、健二と3兄弟でタツノコプロを設立。マンガの代表作として『マッハ三四郎』『紅三四郎』『ファイター健』『弾丸児』など多数。タツノコアニメでは、プロデューサー・キャラクターデザイナーなど、キーパーソンとして活躍。