終わりよければ・・・(放送終了)

3月18日~3月22日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、でんでんさん

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3月18日 「でんでんさんの子供時代」
名脇役のでんでんさんは、ゲートボール好きのお父さんとカラオケ好きのお母さんの間で1950年に福岡で生まれました。その頃のでんでんさんは、相撲をとったり、ちんどん屋を追いかけたりして毎日暗くなるまで遊んでいる、当時どこにでも居た子供でした。
子供の頃のでんでんさんはクレージーキャッツの物まねをやったりしていましたが、一番憧れていたのは渥美清さんだそうです。初めて渥美清さんの演技を見たときは、あまりの素晴らしさに笑うことも出来ずに見入ってしまったと、でんでんさんは話してくれました。

3月19日 「お笑いスター誕生」
渥美清さんに弟子入りしようとでんでんさんは上京しますが会うことはできませんでした。東京行きの夢を諦めきれないでんでんさんは、遠い親戚のつてをたよって丸井に就職し、4年間のサラリーマン生活をしました。
その後劇団ひまわりに入りますが、ここでは芽が出ないと感じたでんでんさんは半年劇団で辞め、友人とちり紙交換を始めた後、マージャンとパチンコの日々を送るようになります。
何かをしなくてはと思ったでんでんさんは「うわさのチャンネル」のオーディションに応募しますが、番組そのものが無くなると言う事で合格通知は来ませんでした。でも、次に応募したお笑いスター誕生では無事8週を勝ち抜きました。
でんでんさんは芸名の由来についても話してくれました。それは・・・

3月21日 「『冷たい熱帯魚』での村田役」
でんでんさんは「の・ようなもの」で映画デビューします。デビューは嬉しかったけれど森田監督からの指名でなかったのがちょっと残念と、でんでんさんはエピソードを語ってくれました。
でんでんさんの名前を一躍有名にしたのが映画、「冷たい熱帯魚」です。この時は賞をもらえた事がとてもうれしかったのだそうです。
でんでんさんは監督と役者の関係について、演出を役者任せにするのではなく、きちんと指導をして欲しいと話してくれました。そうでなければ役者一人の演技になってしまうからだそうです。

3月22日 「最新作『ひまわりと子犬の7日間』」
舞台挨拶で困るから最近は見ているけれど、御自身の出演作を見るのは好きではないと、でんでんさんは話してくれました。反省するところが多いのだそうです。
そんなでんでんさんの最新出演作が「ひまわりと子犬の7日間」です。この映画は「冷たい熱帯魚」とは真逆の、家族で安心して見られる優しい映画で、でんでんさんは、なんでもないけれどさりげない、犬を捕獲する保健所員を演じられています。
でんでんさんがこれから演じてみたいのは、「飢餓海峡」の伴淳三郎さんが演じた老刑事のような善良な人の役なのだそうです。でんでんが体から出て行って、役の人間が体に入ってくる、そんなことができる役者になりたいと、でんでんさんは話してくれました。


<でんでん>
1950年1月23日、福岡県出身。渥美清さんに憧れ弟子入りしたく高校卒業後上京。だが、もちろん不可。
30歳の時、素人でも参加できるお笑いスター誕生で『みんな!ハッピーかい?』等のネタで8週勝抜きを果たした。このテレビ初登場をきっかけに新進のコント作家、構成作家であった水谷龍二さんと出会い、以後水谷作品(舞台、TVドラマ)に欠かせない役者となる。と、同時に脚本家松原敏春さんとも出会い、TVドラマはじめ、舞台「渾身愛」三部作(`89年)、「流水橋」(`92年 芸術座 森光子主演)などでお世話になった。水谷龍二作・演出作品では「ある晴れた日の自衛隊」シリーズ(`94年~`99年)、「星屑の町」シリーズ(`94年~`08年)、明治座「居残り佐平次」(`02年)、「火焔太鼓」(`05年)、「うそつき弥次朗」(`07年)など、ほとんどの作品に登板。また、明治座出演作品には`09年「三平物語」(作 金子成人、演出 水谷幹夫)がある。
久世光彦さんのTVドラマにも数多く出演し、久世さん演出の新橋演舞場「浅草パラダイス」シリーズ(`98年、`00年、`01年)にも参加。永井愛さん作・演出作品に「やわらかい服を着て」(`06年 新国立劇場)、「かたりの椅子」(`10年 世田谷パブリックシアター)がある。