3月4日月曜日「子供のころの話、戦争で疎開」
戦争で東京から学童疎開を経験。
おなかがすきすぎて家に手紙を書き続けたら、父親が迎えに来てくれた。東京に帰ったら大きな空襲にあい、ショックでそのころのことは あまり覚えていないそうです。子供のころは運動が大好きで鉄棒が何よりのお気に入り。その後、助産師の母親の勧めもあって医師を目指すならということで東京の第八高等女学校に入ることになります。
3月5日火曜日「レビューの世界との出会い」
とある日曜日に学校の友達とみんなで隠れてレビューを見てしまった淡路さん。
ミラーボールの輝きを見てこんなに素晴らしい世界があったのかと感激。その後、浅草の松竹座で朝から晩までレビューを見続け、「私はあそこで踊る人になりたい」と決意します。
研究生になったのですが、舞台に出る前に突然映画に出ることになってしまいます。
3月6日水曜日「三船敏郎さんが切ってくれたステーキ」
黒沢映画「野良犬」に出演することになり、大泉の撮影所に泊まり込みになります。
撮影が休みの時に三船敏郎さんが銀座の洋食屋に連れて行ってくれました。初めてビフテキを見て感激。さらにナイフとフォークの使い方がよくわからなく戸惑っていると、サイコロに切ってくれました。淡路さんにとって三船さんはいいお兄さんでした。
3月7日木曜日「21年間芸能界を離れて」
20歳のときにフィリピン人歌手ビンボー・ダナオと結婚(事実婚)。
別れたあと、中村(当時)錦之介と出会い結婚。中村の個人事務所が莫大な借金をかけ倒産、そして病に倒れてしまいます。女優を引退していた淡路さんは、全国でセミナーなどを開催して家計を支えていました。クラブの雇われママになったときは勝新太郎がハワイから駆け付け、ドル札でご祝儀を置いて行ったそうです。
3月8日金曜日「今、楽しいこと」
たばこもお酒もたしなむ淡路さん。いまさらやめる気もない。
酒の量は減ったが、昔はドラゴンクエストを始める前に、おつまみ、氷、酒を用意してから挑むのが何よりの楽しみ。でも酔うとどこでセーブしたのかわからなくなり悶々とするそうです。今年公開予定の四十九日のレシピに出演。相当しゃべっているのでぜひ見てほしいとのこと。どの現場でも今は一番年上だから責任を感じて演技するそうです。
<淡路恵子>
1933年、東京出身。
1949年、映画「野良犬」でデビュー。
主な代表作品
「駅前シリーズ」(映画)(1958)
「茂七の事件簿・ふしぎ草紙 (NHKテレビ)(2001) など