終わりよければ・・・(放送終了)

2月25日~3月1日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、由紀さおりさん

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2月25日 「子供のころの話」 
由紀さおりさんは桐生市で生まれました。両親が居ないと泣いて周囲を困らせてしまうような引っ込み思案な子供でしたが、横浜に転居した頃からだんだん変わっていきます。
お姉さんの安田祥子さんがひばり児童合唱団に入り、しばらくして由紀さんも入団します。当時、女の子二人のデュオは珍しかったので、あちこちから声が掛かったのだそうです。
由紀さんはお姉さんとハッピービーンズの名前でいろいろなCMソングも歌っています。まだ名前が発表されていない自動車のCMソングを練習したとき、仮の名前で歌ったエピソードを由紀さんは懐かしそうに話してくれました。

2月26日 「歌の道に悩んだ高校時代」 
高校に進学した由紀さおりさんは、音楽コースではなく普通コースに進学します。これは、お姉さんと同じ道を歩んでも、お姉さんを超えられないと思ったからだそうです。そして役者の道に進もうとして俳優座養成所を受けようとしますが、ちょうど公募が無い時期で、信頼していた高校の先生の助言に従って、短大に進学しました。
同じ頃、由紀さんはJAZZを習っていました。1年ほど習ったところで、人前で歌ってうまくなるものだというJAZZの先生の助言で、銀座のクラブでステージに立つようになります。歌を唄うのは好きだったけれど、その場所に行くのはいやだったと、由紀さんは思い出を語ってくれました。

2月27日 「夜明けのスキャット/女優業について」 
大ヒット曲 夜明けのスキャットは元々ラジオ番組のテーマ音楽でした。作曲してもらったメロディーに由紀さおりさんが歌詞をつける時に、起承転結のような流れを考えながらスキャットの形で歌ってみたところ、リスナーから問い合わせが殺到し、改めて歌詞をつけてレコーディングしたのだそうです。
「手紙」や「ルームライト」といったヒット曲が出た後、由紀さんはスランプに陥ります。いろいろと問題を抱えていた時期、お客さんの前で正直になれないのが辛かったのだそうです。
ところで、由紀さんはその頃から女優としての道も歩むようになりました。八時だよ全員集合の名台詞「チョーさんのばか」で注目されてから、家族ゲーム、歓喜の歌などで名演をします。由紀さんは、女優とシンガーは似ていると言います。セリフの間合いやイントネーション、自分が決めた役どころといった事柄は作曲に通じるのだそうです。

2月28日 「童謡コンサートとお姉さんへの思い」 
由紀さおりさんがお姉さんの安田祥子さんと童謡を歌うようになったきっかけは、紅白歌合戦の声が掛からなくなったことでした。紅白と同じNHKホールでコンサートをやりたいと考えた由紀さんは、姉妹のルーツである童謡もその中で披露する事にしました。
しばらくして童謡のレコードを出す時は教材扱いされました。制作数の少なさに驚いた由紀さんは、コンサートのギャラの代わりにレコードを手売りさせてもらう方法を考えつき、全国での出前童謡コンサートを始めました。
二人の童謡が広く受け入れられた理由として、曲を活かした歌い方をしたからだと由紀さんは話してくれました。由紀さおりのコブシは封印し、お客さんが作曲者の想像する情景に入れる余白を残したのだそうです。

3月1日 「世界的大ヒット、そして今後について」 
2011年、ピンク・マルティーニとのコラボレーションアルバム「1969」が世界的な大ヒットになりました。リーダーのトーマス氏さんが、由紀さおりさんの初期のアルバムをジャケ買いし、天使のスキャットをカバーしたことから始まった交流で、もう一度、自分の原点である歌謡曲をみつけることが出来たのだと由紀さんは話してくれました。
そんな由紀さおりさんは新曲を発表しました。きれいな日本語の歌を唄いたいとリクエストして出来た曲で、新しきスタンダードを目指しています。
 今、海外ツアーを控えています。このツアーでどこまで自分のバンドが作れるか、このチャンスに追求したいと由紀さんは最後に話してくれました。


<由紀さおり>
1969年「夜明けのスキャット」でデビュー。爆発的にヒットし、スキャットブームを巻き起こす。同年、ギリシャ歌のオリンピアード音楽祭に日本代表で参加し、最優秀歌唱賞ゴールデンディスク賞を受賞。「手紙」「恋文」など数々の賞を受賞。1983年に出演した映画「家族ゲーム」では、毎日映画コンクールの女優助演賞受賞。女優として映画、ドラマに出演。バラエティ、司会、ナレーションなど幅広く活躍している。
2011年秋、アメリカのジャズオーケストラPink Martiniとのコラボレーションアルバム「1969」をリリース。世界50か国以上で発売、配信され、iTunes全米ジャズチャートで1位を獲得するなど世界的なヒットとなる。日本の歌謡曲の魅力を世界に広めた点などが評価され、数々の賞を受賞。