終わりよければ・・・(放送終了)

1月7日~1月11日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、綾小路翔さん

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1月7日(月)「子供のころの話」
小学校ではそこそこなんでもできる子供でしたが、中学になったらいろんな子供が集まり、
上には上がいるもので、これでは1番にはなれないと内心思っていたそうです。
ぐれる要素があるような家庭環境でもなかったし、世の中にも不満がなかったのですが、
最後のころのツッパリ文化をかじってしまった。家では部屋でラジオをよく聞いていたそうです。
オールナイトニッポン出演を夢見て、家でDJの練習をよくしていたそうで、そのころのカセットは今も残っているそうです。

1月8日(火)「中学で目覚めた音楽(?)」
空前のバンドブーム。イカ天などが流行っていたころ、殴りっこでは1番にはなれないと感じていた綾小路翔さん。とんねるずのTV番組でヤンキーがバンドに目覚めるというコントを見て「これだ!これなら同級生誰もやっていない」ということで早速バンドを結成。
最初からオリジナル曲でやっていたそうです。その頃作った曲がのちに氣志團のメンバーにアレンジしてもらい矢島美容室の「ニホンノミカタ」になって行きます。木更津にはライブハウスがなかったのでダンスホールと交渉してライブハウスを作っりグッズも自分たちで作り、Tシャツなども作って売っていました。
その後、東京に出てきたのですが、生活するだけで精一杯の2年間を過ごしてしまったのだそうです。

1月9日(水)「バンド活動再開、ボーカル綾小路翔誕生」
高円寺のライブハウスでバイトを始め、バンド活動を再開。
やっていたバンドはボーカルがいないインストゥルメンタルバンド。
そこで、バンド名氣志團が決まります。学ランのスタイルもこのころ確立。
演奏はめちゃくちゃだったが、綾小路さんのしゃべりで時間稼ぎをしていた。でも演奏が始まったら帰ってしまう。歌ものをやろうということになり、綾小路さんはギターを首から降ろします。ボーカル綾小路翔が誕生したのでした。

1月10日(木)「ワンナイトカーニバルは目の上のたんこぶ」
プロデビューの話があったがメンバー全員が反対。でも綾小路さんはメンバーを説得してプロデビューを果たします。最初、メンバーの中では評価が低かったのですが、綾小路さんは友達の女性たちをサクラとして使って高評価を演出して納得させます。
これで人気者になったのですが、この曲をなかなか越えられないという壁にあたり、メンバーは悩みます。ノリで作った曲が、自分の感性の上を行ってしまう。それから脱却できるかが今年の課題だそうです。

1月11日(金)「2013年の氣志團はなんでもアリ」
DJ OZMAは遊びでやっていたと明言。かなり強気のライブをしていたし、自身もあった。でも、一番ではないかもしれないと感じ2011年名だたるミュージシャンとライブで共演。2013年の氣志團はどうなるのか?初心忘るべからず。氣志團はなんでもアリ。何ができるのか、トライして見たいと決意を新たにする綾小路さん。もう怖いものはない、弱点も分かってきた。ツアーも決まり皆さんに本気の氣志團をお示ししたいと意気込みます。


<綾小路翔>
ヤンクロックバンド「氣志團」の團長。 1997年、千葉・木更津にて氣志團を結成。2001年メジャーデビュー。TBS系ドラマ「木更津キャッツアイ」出演、 自ら企画の大型野外ロックフェス、全国アリーナツアー、ロックバンドとしては最速での東京ドームGIG成功など、「氣志團現象」を巻き起こし、NHK紅白歌合戦へも2年連続で出場を果たす。